むさ日記(仮)

南河内から見たいものを見ています。興味あること以外は興味ありません。

石清水を詣でけり

南河内にある大学生、石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただ一人京阪電車より詣でけり。

極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て…

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!?

 

 はい。茶番にお付き合いいただきありがとうございます。「徒然草」第52段より『仁和寺にある法師』、高校古文の教科書の定番と言ったところでしょうか。仁和寺の法師が石清水に行こう!と思い立ったものの、案内人がいなかったが故、麓だけを見て満足して帰ってしまった、みたいなお話ですね。詳しくはネットで調べても沢山出てくるので今回は割愛します。

 

 というわけで、最寄りの南大阪線某駅から阿部野橋と鶴橋で乗り換え1時間半ほど、京都府八幡市石清水八幡宮駅にやって参りました。接続が悪くて京橋で14分も足止め喰らいましたが

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 駅から石清水八幡宮の一の鳥居までは歩いて5分ほど、鳥居を潜ると真っ先に現れるのが極楽寺の跡地です。極楽寺自体は戊辰戦争鳥羽・伏見の戦いで焼失された後再建されなかったとのこと。現在は「頓宮」と呼ばれる社殿がこの地に建てられています。屈強な軀 その貫禄仁王の如し

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 そしてその隣にあるのが高良神社です。こじんまりとした見た目。

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 この2つ、場所はともかく高校の教科書にある以上全国の高校生が存在を知ることになると思うのですが、実際のところ巨大な鳥居から山に登り始める入口に向かう場所にありますし、ご丁寧に看板がいくつも設置されていますから、ここだけを石清水だと勘違いして帰られる方はまずいないでしょう。この法師もちゃんと看板を見れば分かったでしょうに

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 そこからはとにかく山登りです。件の法師さんは

そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん

なんてことを言っておられましたが、この文明が発達した令和の時代に歩いて登る人はそう多くないようで、参道を歩く人はそこまで多くないようでした。とはいえ道幅は広く、案内の看板はいくつも立っていますから、道に迷うことなく登ることはできます。実際のところこの種の道の中では比較的歩きやすい方かと思いますね。

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 30分ほど歩くと山上まで辿り着きました。もっとも、今の主流のルートは山上の駐車場まで車で登るルートのようで、駐車場には車がたくさん止まっていました。京都からわざわざ歩いて来るぐらいなら最初から車で来るのが一番効率良いのでは?もっとも、日々の運動不足がたたり私はここまで登り切るだけで疲れているのですから、わざわざ往復徒歩で来たお坊さんを煽れる立場にはないかもしれませんが。

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 そして本殿に参拝。その後に御朱印をいただき、少し周辺を散歩した後に帰路につくこととします。帰りは疲れたのでケーブルカーに乗車。正式名称は「京阪鋼索線」と言うようですが、案内上は「石清水八幡宮参道ケーブル」の通称で呼ばれることが多いようです。週末のこの時間は15分間隔で運行されるとのことで、リニューアルされた綺麗な客車が往復しています。

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 というわけで山上の「ケーブル八幡宮山上駅」から乗車。全長411m、最大206‰はケーブルカーとしてはかなり全国的にも短い部類ですが、車窓からは京都の景色も一望でき、眺めの良さは感じられますが如何せん所要時間は約3分、あっという間に山麓の「ケーブル八幡宮口駅」に到着しました。ここは京阪本線石清水八幡宮駅のすぐ隣、7分ほどの接続で淀屋橋行の準急に接続し、帰宅することができました。所謂「乗り鉄」であり全国のケーブルカーがある山を登り歩いている私が言うのもアレですが、あっという間に着いてしまうので少し素気ないような感じさえします。片道だけでも歩いてみるのは面白いですよ。

 

 さて、ここまで半ばふざけて書きましたが、この「徒然草」の一節はこう締めくくられています。

少しのことにも、先達はあらまほしきことなり。

 すなわち、何事にも案内人がいてほしいものであるということ。要はこれが話の教訓となっているわけです。この仁和寺の法師には案内する人がいなかったことから、山の上が石清水だと分からなかった。これは石清水に限ったことではなく、我々人間の日常生活においても、自分一人で考え込み勝手を知らずに行動するのではなく、積極的に知っている人に聞いていきなさい、ということは一つの教訓として持っておくべきではないでしょうか。

 もっとも、今回私は現代の石清水に1人で参拝しましたが、特に迷うようなこともなく山上でお参りをすることができました。それは特に案内役を雇ったからではなく、多数の案内看板が設置されている上、事前にインターネットで下調べもできましたから、無数の顔も名前も知らない「先達」の皆様のおかげと言えるでしょう。そして麓までは京阪電車、山の上まではケーブルカーが建設され、わざわざ長々と歩かなくてもお参りすることができます。さらには2019年に麓の八幡市駅は「石清水八幡宮駅」と改称されましたし、参拝の難易度は年々下がり、分かりやすさは増して来ていると言えるでしょう。

 14世紀に「徒然草」が記されてから700年。高校の古文は必要ない!という意見も少なからずあるようですが、このような過去の教訓を現在に伝えていくこと、これも21世紀を生きる我々に与えられた使命なのかもしれませんね。古文で赤点取りかけた人に言えたことではない

 

とまあいい感じに終わらせようと思ったのですが、ケーブルカーの車内で流れていた観光案内のテーマがこの「仁和寺にある法師」のエピソードでした。

煽ってるんかこれ、いやまあ帰りに麓もぜひ見てから帰ってください!という意味なのはわかりますが。とはいえ21世紀においても教科書に載り、ケーブルカーの放送にまで語り継がれ続けることとなった仁和寺の法師は、ある意味では幸せ者なのかもしれませんね。

 

(おまけ)

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 山上の駐車場にあるエジソン記念碑。どうやらあの発明家・エジソンが電球を製造した際、この八幡の竹を使ったことを記念して作られたものだとか。そして現代、この記念碑の目の前に電気自動車の充電器が堂々と設置されているわけです。もっとも、エジソンがいなければ確かに電気自動車も発明されていなかったかもしれません。ここに充電器を置こう!と最初に言い始めた方には座布団2枚ぐらい差し上げたいところですね。