飯田線 豊橋〜辰野 94駅 195.7km
鉄道ファンの大半なら知っているであろうこの路線、時刻表の上から下まで占有する普通列車を見て一度乗ってみたい、と思い始めてはや10年。毎年のようにやろうか、と検討こそしていたものの、
・時間が捻出できない
・他に行きたい場所がある
・そもそも耐えられる気がしない(最重要)
という理由で敬遠し続けてきた私。しかし、昨年早春に高山本線、今春に紀勢本線に乗車し「JR東海全線完乗」が見えてきた中において、ついにこの「飯田線」が東海最後の長大路線となってしまった。所謂乗り鉄の世界において定期的に話題となるこの路線、そろそろこの「修行」から逃げられなくなってしまったことを悟った私は、長期休み恒例の帰省の道中、東海道線を豊橋で下車しこの修行に挑むことを決意した。
(おことわり)
ブログ用に敬語の文章を書くのが面倒くさい為、今回のブログから人物名等の敬称を除き基本的に敬語を廃止し、文体を常体(だ・である調)とさせて頂きました。ご了承ください。
初電で南大阪線某駅を出発し天王寺→大阪→米原と乗り継ぎ10時28分に豊橋に到着。青春18きっぷでの移動の場合、土休日ダイヤではこれが南大阪線からの「初電」となる。ところが豊橋での岡谷行への乗換時間は14分。駅の周りを散策している時間もあまりない為改札内でお弁当を購入し、2番線に向かうことする。
一応途中下車印欲しさに改札も出てみたが、豊橋を舞台にした今季のアニメ「負けヒロインが多すぎる!」の装飾がとにかく目立つ。かくいう私もこのアニメを視聴しているが、まさか10時間前に大阪でテレビから流れていた曲がここで!といった調子である。飯田線沿線も度々登場しているこの作品、dアニメストアでも配信されているので皆様も是非。
あえてここに書く必要もない気はするが、豊橋駅の2,3番線は飯田線と名鉄名古屋本線の共用ホーム。向かいの名鉄から降りて来られる方に囲まれながら発車1分半前に2両編成の列車に乗車する。ちなみに車両は313系R102編成。転クロの213系に乗りたかったとか言わない
乗車率は座席が埋まる程度。地元利用者の方も勿論いるが、18きっぷ期間の日曜日とあって明らかに同業といった出立ちの方も多く見受けられる。勿論ギリギリに乗り込んだ人間がクロスシートを確保できるわけがなく、仕方なくロングシートに腰掛けることとした。
そんなこんなで10時42分、定刻通りに豊橋を発車、しばらくは豊橋近郊の住宅街を走る。名鉄豊川線との接続駅・豊川で乗客もかなり増え立ち客も出始める様相。新城あたりまでは割と混んでおりローカル線というよりは観光路線の雰囲気。試合に向かうであろう高校生の話し声も聞こえてくる。
この区間は2,3駅に一度数人がドドっと降車するといった様相。ICカードの使えない豊川以北で現金精算をする車掌さんの姿が印象的であった。
11時42分、豊橋を出てちょうど1時間で本長篠に到着。17分の停車時間中に一度改札を出て駅前の自動販売機で飲み物を購入する。この駅を出ると飯田まで3時間近く5分以上の停車がない以上、豊橋駅で買う時間がなかった分ここからの水分確保は重要になってくる。実際に私以外にも自動販売機に行った方はいたそうだ。
対向列車としてやってきたのは373系の伊那路2号、乗車率はお世辞にも高いとは言えなかった。そして私の乗る普通列車も11時59分に岡谷に向けて本長篠を発車。ここから先は運行本数も少なくなるが、本数が少ない分か乗車率は比較的高く、ギリギリ全員座れる程度の乗客数であった。
ところでこの列車、ツーマン運転ながらドア扱いは全て運転手が行っているのが大きな特徴。車掌は集札に専念といったところ。切符販売に乗越精算、さらに車内放送となかなかの働きぶり。そういえば小学生の頃、ありがちな自己紹介で将来の夢に「車掌」と書いていた私、今は全く別の進路を目指しているが、今でもボーッと車掌動作を見てしまう。
12時30分、ゆるキャン△ season3にも登場したことでも注目された愛知県最後の駅、東栄に到着。ここでまとまった降車があり、ようやくボックスシートに腰をかけ4人分を占有することができた。豊橋から1時間半、この辺りを過ぎると人口もさらに少なくなり、車内に残るのも鉄道ファンをはじめとする旅行者ばかりとなった。
飯田線の一番の名所とでも言おうか、城西〜向市場間で「渡らずの橋」こと第六水窪川橋梁を通過。私自身も後面展望で撮影したが、このタイミングで先頭と後方に人が集まり始めるのは18きっぷシーズンならではの光景だろうか。
水窪から大嵐までは郵便局員の方も乗車。自動車では到達不可能、ということで秘境ムードが増していきます。郵便屋さんも仕事中とはいえ当然JR東海のお客様、車掌さんに運賃を支払い切符を購入している姿が印象的であった。
そして13時19分、小和田に到着。言わずと知れた有名すぎる秘境駅、その立地は想像以上のものであり、うまく言語化できないですがこんなところ人が来るのか、というぐらい田舎に駅舎とホームが現れた。ちなみにそんなこの駅で下車された方も確認したが、恐らく同業の人間かと思われ。
続いて13時24分、ついに長野県に上陸し中井侍に到着。小和田に次ぐ知名度の高い駅であることもあり、利用者の半分近くが鉄道ファンであるこの車内にシャッター音が響く。ちなみに車掌さんからは「写真撮影で車外に出ないでほしい」旨の放送。おそらく過去にトラブルがあったのだろう。
13時28分、伊那小沢に到着。この駅で上諏訪からの豊橋行と交換するため4分停車する。車掌さんのご厚意で一度ホームに降ろして頂き、ホームからの景色を眺めることができた。それにしてもだいぶ山の中である。
14時13分に天竜峡に到着。ここで豊橋から乗務された車掌さんは交代となる。鉄道に関わる仕事をしたことはない私自身現業についてはあまり詳しくないが、かつての寝台特急ならいざ知らず、恐らく普通列車で7時間連続勤務というのは規則でもできないのだろう。ここから(厳密に言うと2駅手前の金野から)は長野県飯田市内に入ることもあり、少しずつ乗客が増え始め、毛賀や下山村などからも複数名の乗車が見られた。
そして14時43分、豊橋を出て4時間1分で飯田に到着。半分ほどの方はこの駅で降りられた。飯田では8分停車、何もないところにずっといたので飯田が大都会のように感じられてしまう。もっともこの場所は名古屋から中央高速で2時間で辿り着ける場所であるが、、、
飯田を過ぎると再び降車の方が多くなり、15時15分に伊那大島に着く頃には誰もいないボックスが出てくるほどの空き方に戻った。
アニメでしか名前を知らない地名こと高遠原には15時41分着。良くも悪くもこの駅は「なんてこともない駅」であった。架空の中学校の知名度の方が高いような気もするが。
16時13分に到着した駒ヶ根では8分停車。山帰りといった出立ちの方が乗車して来られた。ここから再び乗客が増えてくるようになり、車窓の撮影も難しくなってきた。
16時45分に伊那市着。この時間になると部活帰りの高校生もたくさん乗車し、ドア付近では立ち客も出始めるなど、この列車にとって最も賑やかな時間となる。高校の最寄駅に着くとジャージ姿の学生が乗車し数駅で降りていく、ということの繰り返し。ちなみに私の座るボックスは岡谷まで相席なし。クロスシートで相席をよしとしないのは地域性といったところか。
17時20分、辰野に到着。6時間38分かけて踏破してきた飯田線はこの駅が終点である。しかしほぼ全ての列車が岡谷駅まで直通しているからか、むしろこの駅も途中駅のような雰囲気さえ漂っており、少し拍子抜けするところがあった。唯一変わったことといえば、JR東日本の乗務員へと交代が行われ、駅が東日本仕様だったことぐらいだろうか。
辰野から岡谷ではJR東日本の中央東線辰野支線を走行する。この路線、かつて特急が走っていたこともあり線形はそこまで悪くはなく(遠回りなだけ)、買収国電でもないので駅間距離も長く、今までの低速が嘘のように軽快な走りを見せる。ちなみにJR東日本の乗務員が運行を担当する為、勿論ドア扱いは車掌が行う一般的な方式であった。
17時33分、岡谷に到着。豊橋から乗って来られた方は他にも数名ほどいたようであった。最後に6時間51分もお世話になった車両を撮影し、この旅を締めくくることとした。同じ列車に7時間近くも乗車し続ける、というのはいつぞやサンライズ出雲号に乗車した時以来であったが、とにかく感想としては「疲れた」が最初に来てしまった。大阪難波〜近鉄名古屋と大して変わらない距離に7時間もかける「鈍足列車」に乗っていて疲れないわけがない。しかしこれをやり遂げたのだから達成感はひとしおである。正直8時間勤務のバイトより長かったような気がするが、特に飯田以南においては移り変わる景色を楽しむこともでき、乗ってよかった、と感じる。
岡谷からは中央東線の普通列車に乗車し甲府・大月で乗り換え都内へと抜け東京の実家へと向かう。飯田線のスピードに慣れていた私は211系のスピードの速さに度肝を抜かれてしまった。
さて、残るJR東海は東海道本線支線(新垂井線)・武豊線・参宮線・名松線。夏休み中に行く計画でも立ててみるとしよう。
p.s.
中央快速線の何気ない一コマ。トイレ設置工事は終盤となりグリーン車の新造試運転も進んでいるようですので、これまで当たり前に見てきた4・5号車の普通車もそのうち懐かしいものになるでしょうか。いや青編成がいるか