むさ日記(仮)

南河内から見たいものを見ています。興味あること以外は興味ありません。

ひたちなか海浜鉄道湊線完乗記 ~地域のための鉄道~

 長々と書いてきた東関東未乗路線ネタも4本建ての最終回である。大洗鹿島線に乗車したことで水戸を発着する路線に全て乗車した記念(?)として、関西に住んでいる以上しばらく行く機会も無さそうなひたちなか海浜鉄道にも乗車しておこう!と考えた、本当にそれだけの話を最後に書きこの話を締めくくろうと思う。

(参考:前回)

musata.hatenablog.jp

 

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 湊線の始発駅・勝田ひたちなか海浜鉄道の乗り場は常磐線上りホームと共有する1番線である。一度迷って改札を出てしまったが、有人改札で「湊線に乗車する」旨を伝え、やはり常磐線ホーム上にある窓口で1日乗車券を購入する。訪問時はキャンペーン中で600円であったが、普段でも1,000円なので往復をすればモトを取ることができる。

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 車両は新潟鐵工所のNDCことキハ37100形であった。車内は18.5m級ロングシートであり、とにかく長い座席が目立つ。譲渡車ではクロスシート車も多く在籍しているものの、乗車時間の短さを考慮すると自社発注車をロングシートにしたのも十二分に理解できる。

 17時43分勝田発。車内は座席が埋まるほどの混雑、少し早いとはいえやはり帰宅ラッシュ時なのでガラガラではないようだ。一時は廃線の危機にもあったこの路線、三セク化以降利用者が増加傾向にあるようで一人の鉄道趣味人として非常に嬉しく感じる。

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 最初に降車があったのは金上、ここで対向列車のキハ11と交換する。ちなみにこの路線も大洗鹿島線と同じく前乗前降方式。なんとなく北海道のイメージが強いこの方式であるが、茨城では当たり前なのだろうか。勿論交通系ICカードは利用不可である。

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 17時57分那珂湊着。主要駅とあって1/3ほどの方がこの駅で下車される。写真は撮れなかったもののこの駅には車両基地が隣接されており、部品取り用のキハ11-200が城北線ステッカーを貼られたまま放置されていたのが妙に印象的であった。

 そして残りの乗客は半分ほどが殿山で下車し、平磯で乗客はさらにその半分となる。この辺りは旧那珂湊市内の住宅街といった感じであろうか。車窓の風景は住宅地と田園風景が交互に現れる、といった移ろいを見せてゆく。

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 18時11分、終点の阿字ヶ浦着。ここまで乗ったのは私を含め5名ほどであった。この駅は無人駅であるが、なんと固定式ホーム柵が設置されている。非電化単線にホーム柵とは随分と不釣り合いに感じられるが、2021年に開校した統合新校・美乃浜学園へ通学する小中学生の安全対策だという。

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 この規模の路線としては異例ともあろうホーム柵が設置されたことは、「幼い命を預かる」というこの路線に与えられた使命を意味しているのだろう。鉄道は便利な乗り物である一方、その理由はさておき利用者の不注意で命を落とす可能性も否定できない乗り物である。もちろんホーム柵は万能ではないが、これから長く鉄道を利用してくれるであろう少年少女が安全に利用できるよう、鉄道会社として努力している証左と言えるのではないか。もちろん設置しただけで終わりではなく、これからも安全に運行を続けていって欲しいと願いたいところである。

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 ちなみにこの駅の一角には、2014年に引退したキハ222を祀った「ひたちなか開運鐵道神社」たるものが存在する。古レールで作られた鳥居の奥に現役時代無事故で50年以上走り続けた「御神体」が安置されており、さまざまなご利益があるのだという。建立時にはニュースにもなったが、なんともユニークな神社であろう。

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 さてすでに報道されているように、将来的に湊線は阿字ヶ浦からひたち海浜公園方面へと延伸することが発表されている。現在は少し伸びたところで線路が止まっているが、この先に高架線が伸び、既存区間でも快速列車の運転が検討されているという。一度は廃線の危機に陥った路線とは思えないほど明るいニュースが多いこの路線だが、延伸開業した折にはまた乗りに来たいところである。


 阿字ヶ浦から勝田までは折り返しの列車で戻り、勝田からは常磐線普通列車で上野に戻ることとした。E531系の普通列車は水戸発車時点では座席が埋まっていたが、石岡を出る頃には半分近くの方が下車され、そのガラガラのまま複々線区間に入り、ほどなくして上野の高いホームへと滑り込んだ。

JR鹿島線・鹿島臨海鉄道大洗鹿島線完乗記 ~思い立たないと行かない~

 また前回の続きである。4本立ての3本目、今回は表題の通り千葉から茨城まで向かう話を書かせていただく。

(参考:前回)

musata.hatenablog.jp

 JR鹿島線鹿島臨海鉄道大洗鹿島線。元々同じ鹿島線として鉄建公団により建設されたこともあってかJRと第三セクターながらセットとして考えられるこの2路線。どちらも両端駅で他線と接続していることから久留里線のような盲腸線ではないものの、行こう!と思わなければ行かない場所でありこれまで行く機会がなかった。特にサッカー通ではない私は、これによりなんと人生で初めて茨城県鹿行地域に足を踏み入れることとなった。

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 さて、佐原の0番線に停車していた鹿島神宮行に乗車することとする。車両はE131系R02編成の2両編成であった。E131系自体は宇都宮線や相模線で既に乗車したことがあるが本家0番台は今回が初乗車、登場時には色々言われていたが、日中20人程度しか乗車していないのを見ると適切な輸送形態では?と考えてしまう。

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 14時17分に佐原を発車。次の香取までは成田線を走行する。実質的な系統の分岐駅は佐原であり、それもあってか香取では降車客はいなかった。

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 千葉県最後の駅である十二橋では高校生らしき方が下車。しかし驚いたのは、県境を越えようとしているにも関わらず学生全員が下車しなかったことである。調べてみると茨城県鹿行地域の高校生は千葉県への越境通学も認められているようで、実際に県境を超えて茨城側から千葉県内へ通学する高校生も少なからずいるのだという。

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 その茨城県最初の駅である潮来で大人に混じって高校生も下車。次の延方も同じような様子であった。そして佐原を出て21分、北浦の鉄橋を過ぎるとあっけなく(?)14時38分に鹿島神宮に到着。

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 流動がそこまでないのかこの駅での接続はお世辞にも良いとは言えず、この駅で1時間ほど待つこととなる。その時間を使い、駅から徒歩10分ほどの鹿島神宮に参拝。今回唯一のまともな観光となった。由緒正しき立派な神社ではあったが、暑さも相まって駅から坂を登るのに非常に疲れてしまった。

 

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 さて戻るとしよう。鹿島神宮1番線に停車していたのは8000形気動車、前面形状こそ異なるものの、片開き3扉であり関東鉄道キハ5000形をベースに設計されたという。ちなみにワンマン運転時には有人駅以外の乗降は前乗前降となるため、折角の中扉も始発駅を過ぎると新鉾田・大洗以外の途中駅では開かない。北海道かよ!とツッコミを入れたくなるが、運転手が全ての乗客を確認できるのだから時間さえ許せばワンマン運行において最善なやり方なのかもしれない。

 そして15時39分に鹿島神宮を発車、乗客は15人程度であり先ほどまで乗車していたJR鹿島線と同程度とでも言おうか。

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 4分ほどでJRと鹿島臨海鉄道の境界駅である鹿島サッカースタジアムを通過。旅客上は臨時駅であるが貨物列車の発着駅となっており、EF210形が停車していた。電化区間はここまでであり、ここから先は非電化の路線を走行することとなる。

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 ところで、私が今回利用している青春18きっぷの効力はこの駅まで、ということでここから水戸までは鹿島臨海鉄道の運賃を支払うこととなる。しかし、鹿島神宮の自動券売機では「鹿島神宮鹿島サッカースタジアム」の運賃を含めた料金の乗車券しか販売しておらず、これを購入してしまうと1駅分18きっぷを使えるはずの路線を放棄することになり、こちらとしては損をしてしまう。と、いう事情について鹿島神宮駅前にある乗車券を業務委託されている観光案内所の方に伝え手持ちの18きっぷを提示したところ、「鹿島サッカースタジアム→水戸」の乗車券を販売して頂いた。今後訪れた際に同じ対応をしていただけるとは100%保証できないが、少なくとも今回はこの対応をして頂いたことに感謝したいところである。

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 2駅目が東日本一長い駅名で知られる長者ヶ浜潮騒はまなす公園前。この辺りの駅では利用者が増えたり減ったりといった感じ。新鉾田で1/3ぐらいのお客さんが入れ替わったが、そこからは「微増」程度で大洗まで進んで行く。

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 もっとも設立経緯で付けられた名称のため仕方ない話ではあるが、鹿島「臨海」鉄道と名乗りながらもほとんど海が見えないのがこの路線。しかしさすが鉄建公団といったところ、高速運転可能な線形となっており、単行の気動車は高架橋を軽快に進んでいく。 先日乗車した飯田線とは大違いである。

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 遠目に太平洋とフェリーさんふらわあが見えてくると16時39分、大洗に到着。部活帰りか仕事終わりかは分からないが、この駅から一気に乗車が増え1両編成の車内は途端に満員となる。

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 その満員を維持したまま16時55分、水戸に到着。8000形がロングシートで導入された理由は「水戸駅での降車時間短縮」とされているが、確かに降車にかなりの時間がかかっており下車に3分ほどかかった。しかし、精算のため先頭の扉のみを開けていることが一番時間のかかっている理由とみられ、そこよりもシステム変更のほうが先では?と感じてしまう。もっとも、この制度にも理由があるのだから頭ごなしに批判するのも違うと思うが。

 水戸駅周辺を少し散歩したのち常磐線に乗車し、1駅隣の勝田へと向かった。

成田線完乗記 ~後回しの繰り返し~

 さて、前回に引き続き相変わらず「近いからこそ遠い千葉県」の未乗路線のおはなし。

musata.hatenablog.jp

 房総半島1周と同じように大回り乗車の定番ルートとして定期的に出てくる総武本線成田線経由。しかし私自身、実は一度もこの経路で大回りをしたことがない両毛線水戸線は何度もあり我孫子の唐揚げ蕎麦も何度も食べた私であるが、どうしても時間がなくて松岸まで行くことは計画こそ立てるもののその度に没になっていた。

 で、その結果乗らずじまいになってしまったのが成田線の成田〜松岸間である。これまで21年間生きてきてこの地域に用事があったことは一度としてなく、銚子に向かうことはあってもその経路は総武本線経由。そして18きっぷが余っても東京から中途半端な距離にあるこの路線に乗りに行く、ということを一度もしていなかったのである。

 ちなみにそれ以外の成田線

・佐倉〜成田 直近乗車が大回り

・成田〜我孫子 直近乗車が大回り

・成田〜成田空港 N`EXでは複数回乗車済

この有様である。もっとも、スカイアクセスの開業後は成田空港に行く時はスカイライナー、或いは安い東京駅からのバスで行くことが多くなり、ほとんどJRは利用していない。

 こうして見事に忘れられた成田線に久しぶりに乗車し、初乗車から15年以上存在を無視していた(?)成田以東の区間を含めた全線完乗を達成しようと目論んだわけである。

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 木更津から乗車した快速を千葉で下車し、成田空港行の快速に乗り換え成田に向かう。車両はどちらもE235系1000番台15両、しばらく見ないうちにだいぶ本数が増えたようであった。エアポート成田という愛称は既に死語であるが外国人観光客も多数見受けられ、成田駅で駅員さんが「This is not Narita Airport.」と放送していたのが妙に印象的であった。

 

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 跨線橋を渡り成田11時50分発の銚子行に乗り換える。車両は209系C603編成であった。日中に6両は長いのでは?との不安をよそに、どの7人がけにも2-3人ずつは椅子に腰掛けている方がいる姿は正直なところ想像以上であった。

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 成田駅を発車すると3分ほどで両渡り線を渡り右側に線路が分岐する。これが空港支線であり、写真の後ろに見えるのが成田スカイアクセス線である。ちょうどイオンモール成田の隣接地であり、ここに駅をつくれば便利では?と考えてしまうのは素人の発想なのだろうか。

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 で、車窓の光景は終始田園地帯といったところである。滑河から先は利根川右岸を走る以上当たり前と言えばそうなのだが、、、

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 12時11分、佐原に到着。沿線の中心駅であることから1/3ぐらいの方がこの駅で下車される。改札に向かう方と鹿島線に乗り換える方が半分ずつと言ったところだろうか。そしてその分部活帰りであろう高校生が乗車する、といった流れであった。

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 その後も相変わらず田園地帯を走っていくわけであるが、車窓の奥に神栖の工業地帯が見えてくると12時33分、対向列車との交換駅である笹川に到着。この辺りの駅はどこでも5人程度の下車があり、その分2人ほど乗車するといった流れであった。

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 ところで成田線駅名標は2010年代に更新され、花が描かれたレトロ調のものに変更されている。しかし設置から10年以上が経過し直射日光を浴び続けた結果どれも日に焼けているのが現状。どこも色褪せてしまっているのが見ていて悲しい限りである。

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 12時52分、松岸に到着。向かいのホームには総武本線上り列車が停車しており、接続を図っているとのことであった。どの程度流動があるのかは分からないが、大回りをするのであれば便利に違いないだろう。

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 そして次の終点銚子に12時58分に到着。少し前SNS上で銚子が近いか遠いか、という議論を目にしたが、特急列車で2時間、普通列車ではそれ以上かかるこの地は都心からすぐ行ける場所ではないように感じる。直線距離としては大した距離がないので交通網がもう少し整備されていれば、といったところではあるのだが。

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 ちょうど隣の銚子電鉄ホームには元京王5100系である3000形が停車していたので軽く撮影。銚子駅は通過型の駅となっておりいつでも犬吠埼に直通できるのでは?と考えてしまうのは素人の発想。国鉄→JRの気動車が直通できる規格の路線ではないようで、半世紀以上直通運転は行われていないのだとか。今回は時間の都合で訪問できなかったが、また是非訪れたい地方私鉄である。

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 銚子での折り返し時間は9分、手短に改札を出て駅のNEWDAYSに向かい「ぬれ煎餅」とビールを購入した。そして13時7分発の成田行に乗車し、これを消費しつつ再び来た道を戻る。

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 そして13時51分に佐原に到着。ここで下車し次の目的地である鹿島線を待つこととした。

(つづく)

久留里線完乗記 ~帯に短し襷に長し~

 鉄道の乗りつぶしを行うにあたり一番面倒くさい存在となるのは所謂「盲腸線」で間違いないだろう。故・宮脇俊三先生の「時刻表2万キロ」でも乗車している路線は盲腸線が中心であり、日本全国の盲腸線に乗る様子が執筆されている。その当時の盲腸線の多くが特定地方交通線に指定され廃止されたとはいえ、現代においても鉄道完乗において残りがちなのは彼らである。

 その中でも少し異色な存在とも言えるのが今回乗車する久留里線である。首都圏、それも東京から快速で1時間半と決して端っこではないであろう木更津駅を発着しながらも久留里以遠の本数は1日8.5往復。それも日中の本数が極端に少ないことから、乗車ハードルが首都圏トップクラスに高くなってしまっている。

 かくいう私もかつて友人と「房総半島1周大回り」を挙行し、小湊鐵道いすみ鉄道では貸切列車に参加させて頂いたこともある身。房総半島には何度も行っているはずなのに唯一縁がなかったのが久留里線。実際のところ東京に住んでいた頃は「遠出」となるともっと遠くの路線に乗りに行ってしまったわけであり、こういうところが残ってしまうのである。

 しかし、昨今の記事によると久留里線末端部の存廃問題が出ているという。そこで私はふと思った。

いい加減そろそろ久留里線に乗らないといけない。

 ちょうど8月後半、東京の実家に帰るタイミングで暇な日が1日あったことから、これを活用しようと考えた所存である。

 と、前置きがとても長くなったが、今回は久留里線をはじめとする東関東の未乗路線を乗りつぶそう、という旅行記を書いていこうと思う。路線毎に区切り全4回にわけて投稿させていただくので、暇な方はお付き合いいただけると幸いである。

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 東京5時42分発の総武線快速に乗車。千葉からは内房線の君津行へと乗り継ぎ木更津には7時10分着。工業地帯へ通勤される方だろうか、8両編成だというのに木更津まで立ち客が出るほどの混雑であった。

 ふとホームを見ると京葉線回りの「各駅停車東京行」を待つ列、駅前のバス乗り場を見るとバスタ新宿行の高速バスを待つ列ができていた。アクアライン開業から27年、京葉線通勤快速廃止から5ヶ月。変化し続ける交通網の中でも、毎日東京に通うサラリーマンがいる、ということを実感しつつ久留里線ホームである4番線へと向かった。

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 今回乗車するのはキハE130系100番台、久留里線専用車として製造された形式であり、車内はトイレなしのロングシートであった。ちなみにICカードは利用できないものの整理券発行機は封鎖されており、乗車駅で乗車駅証明書を取るように、と案内がなされていた。

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 木更津を7時25分に発車。車内は3両で30人といったところ、今の時期は高校の夏休み期間であり、恐らく部活など何らかの事情がある生徒以外は乗っていないのだろう。しかし平日ダイヤでツーマン3両での運行が行われているのだから、普段の平日は混雑しているのだろうと推測できる。もっとも推測の域を過ぎないが。

 次の祇園上総清川で若干名の乗車とともに降車も少々。しかし意外にも木更津から離れるほど乗車人数は増えていく様相を見せていた。

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 7時43分着の横田で反対方向の木更津行と交換。こちらも3両編成であったが、やはり高校の夏休みが影響しているのか乗車率は低かった。そもそも10両しか新造されてないキハE130系100番台のうち半数以上にあたる6両がここに集結している姿は圧巻とでも言おうか。

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 7時53分、馬来田に到着。ここで「ドアの整備を行うため」2分停車するとの放送が入る。この駅から先のホーム有効長が2両分のみのため、3両目のドアカット措置を取るということらしい。東急九品仏駅に代表されるようにホーム有効長が足りないのでドアカット、という話はたまに聞くが、その扱いをいちいちする程の旅客もいないこの路線では該当区間全てを締切にしてしまおう、というものは都心ではできない話である。

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 8時11分、久留里に到着、ここまで乗車していた近隣の高校に通っているであろう生徒達はここで下車し、70%近い人間が一気に消えた車内は一気に静かになる。ここから先の沿線に高校がない以上、おそらく学校が始まっても久留里以遠に向かう人は増えるわけでもなく、むしろ落差が広がるのでは?と考えてみる。そして8時15分に久留里を発車。

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 上総松岡で数名の方が下車された後の残りは7名。18きっぷシーズンである以上、これでも乗客は多い方なのだろう。この区間は「森の中を走る」といった印象。今の季節は夏、線路沿いに生い茂った草が線路内に入り込み、常にどこかの枝葉にぶつかる音が聞こえるという状況。ステンレスの塊が常に木とぶつかり続けるこの光景は果たして「田舎に来た」と一言でまとめて良いのだろうか。

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 木更津から1時間8分、8時33分に上総亀山に到着。せいぜい農協がある程度のほとんど何もない集落の中の駅といったところか。当然無人駅であり、せいぜい隣の建物にトイレがある程度であった。

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 当初は木更津と大原を結ぶ「木原線」として建設が、進みここから先上総中野へと延伸する予定であったこの路線。延伸計画は頓挫し既に開業していた上総中野以東は第三セクターいすみ鉄道として、房総横断鉄道は小湊鐵道との連絡で実現してしまった今や「兵どもが夢の跡」と行ったところだろうか。

 さて、次の予定もあるので折り返しの列車に乗車し木更津に戻る。こちらもやはり3両編成、 例によってホームが2両分のみであることから、乗客を下ろして1両分終点方向へと移動したのち、木更津方前2両で再び客扱いを行っていた。私と同じように乗りつぶし目的で来られた方も数名いたようであり、再び同じ顔を見かけることになる。

 しかしこれに乗り遅れれば6時間後までない、ということで地元の方も車内に見受けられた。廃線になればこの方々の交通手段はどうなるのか?と思いつつも、バス1台あれば乗り切れる程度の利用者であることから鉄道として採算が取れるほどでもないんだろうな、とも考える。公共交通の存廃議論は難しい問題であると改めて感じた瞬間であった。

 ちなみに帰りは直前までの寝不足が祟り、久留里を出た頃に爆睡してしまい起きた時には木更津のホームであった。人間とは意外と簡単に寝られるものである。

 それから寝起きの私は、上りホームへと回ったのち逗子行の快速列車に乗車し北へと向かった。(つづく)

飯田線完乗記 ~6時間51分の修行~

 飯田線 豊橋〜辰野 94駅 195.7km

 鉄道ファンの大半なら知っているであろうこの路線、時刻表の上から下まで占有する普通列車を見て一度乗ってみたい、と思い始めてはや10年。毎年のようにやろうか、と検討こそしていたものの、

・時間が捻出できない

・他に行きたい場所がある

・そもそも耐えられる気がしない(最重要)

という理由で敬遠し続けてきた私。しかし、昨年早春に高山本線、今春に紀勢本線に乗車し「JR東海全線完乗」が見えてきた中において、ついにこの「飯田線」が東海最後の長大路線となってしまった。所謂乗り鉄の世界において定期的に話題となるこの路線、そろそろこの「修行」から逃げられなくなってしまったことを悟った私は、長期休み恒例の帰省の道中、東海道線豊橋で下車しこの修行に挑むことを決意した。

 

(おことわり)

 ブログ用に敬語の文章を書くのが面倒くさい為、今回のブログから人物名等の敬称を除き基本的に敬語を廃止し、文体を常体(だ・である調)とさせて頂きました。ご了承ください。

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 初電で南大阪線某駅を出発し天王寺→大阪→米原と乗り継ぎ10時28分に豊橋に到着。青春18きっぷでの移動の場合、土休日ダイヤではこれが南大阪線からの「初電」となる。ところが豊橋での岡谷行への乗換時間は14分。駅の周りを散策している時間もあまりない為改札内でお弁当を購入し、2番線に向かうことする。

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 一応途中下車印欲しさに改札も出てみたが、豊橋を舞台にした今季のアニメ「負けヒロインが多すぎる!」の装飾がとにかく目立つ。かくいう私もこのアニメを視聴しているが、まさか10時間前に大阪でテレビから流れていた曲がここで!といった調子である。飯田線沿線も度々登場しているこの作品、dアニメストアでも配信されているので皆様も是非。

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 あえてここに書く必要もない気はするが、豊橋駅の2,3番線は飯田線名鉄名古屋本線の共用ホーム。向かいの名鉄から降りて来られる方に囲まれながら発車1分半前に2両編成の列車に乗車する。ちなみに車両は313系R102編成転クロの213系に乗りたかったとか言わない

 乗車率は座席が埋まる程度。地元利用者の方も勿論いるが、18きっぷ期間の日曜日とあって明らかに同業といった出立ちの方も多く見受けられる。勿論ギリギリに乗り込んだ人間がクロスシートを確保できるわけがなく、仕方なくロングシートに腰掛けることとした。

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 そんなこんなで10時42分、定刻通りに豊橋を発車、しばらくは豊橋近郊の住宅街を走る。名鉄豊川線との接続駅・豊川で乗客もかなり増え立ち客も出始める様相。新城あたりまでは割と混んでおりローカル線というよりは観光路線の雰囲気。試合に向かうであろう高校生の話し声も聞こえてくる。

 この区間は2,3駅に一度数人がドドっと降車するといった様相。ICカードの使えない豊川以北で現金精算をする車掌さんの姿が印象的であった。

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 11時42分、豊橋を出てちょうど1時間で本長篠に到着。17分の停車時間中に一度改札を出て駅前の自動販売機で飲み物を購入する。この駅を出ると飯田まで3時間近く5分以上の停車がない以上、豊橋駅で買う時間がなかった分ここからの水分確保は重要になってくる。実際に私以外にも自動販売機に行った方はいたそうだ。

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 対向列車としてやってきたのは373系伊那路2号、乗車率はお世辞にも高いとは言えなかった。そして私の乗る普通列車も11時59分に岡谷に向けて本長篠を発車。ここから先は運行本数も少なくなるが、本数が少ない分か乗車率は比較的高く、ギリギリ全員座れる程度の乗客数であった。

 ところでこの列車、ツーマン運転ながらドア扱いは全て運転手が行っているのが大きな特徴。車掌は集札に専念といったところ。切符販売に乗越精算、さらに車内放送となかなかの働きぶり。そういえば小学生の頃、ありがちな自己紹介で将来の夢に「車掌」と書いていた私、今は全く別の進路を目指しているが、今でもボーッと車掌動作を見てしまう。

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 12時30分、ゆるキャン△ season3にも登場したことでも注目された愛知県最後の駅、東栄に到着。ここでまとまった降車があり、ようやくボックスシートに腰をかけ4人分を占有することができた。豊橋から1時間半、この辺りを過ぎると人口もさらに少なくなり、車内に残るのも鉄道ファンをはじめとする旅行者ばかりとなった。

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 飯田線の一番の名所とでも言おうか、城西〜向市場間で「渡らずの橋」こと第六水窪川橋梁を通過。私自身も後面展望で撮影したが、このタイミングで先頭と後方に人が集まり始めるのは18きっぷシーズンならではの光景だろうか。

 水窪から大嵐までは郵便局員の方も乗車。自動車では到達不可能、ということで秘境ムードが増していきます。郵便屋さんも仕事中とはいえ当然JR東海のお客様、車掌さんに運賃を支払い切符を購入している姿が印象的であった。

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 そして13時19分、小和田に到着。言わずと知れた有名すぎる秘境駅、その立地は想像以上のものであり、うまく言語化できないですがこんなところ人が来るのか、というぐらい田舎に駅舎とホームが現れた。ちなみにそんなこの駅で下車された方も確認したが、恐らく同業の人間かと思われ。

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 続いて13時24分、ついに長野県に上陸し中井侍に到着。小和田に次ぐ知名度の高い駅であることもあり、利用者の半分近くが鉄道ファンであるこの車内にシャッター音が響く。ちなみに車掌さんからは「写真撮影で車外に出ないでほしい」旨の放送。おそらく過去にトラブルがあったのだろう。

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 13時28分、伊那小沢に到着。この駅で上諏訪からの豊橋行と交換するため4分停車する。車掌さんのご厚意で一度ホームに降ろして頂き、ホームからの景色を眺めることができた。それにしてもだいぶ山の中である。

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 14時13分に天竜峡に到着。ここで豊橋から乗務された車掌さんは交代となる。鉄道に関わる仕事をしたことはない私自身現業についてはあまり詳しくないが、かつての寝台特急ならいざ知らず、恐らく普通列車で7時間連続勤務というのは規則でもできないのだろう。ここから(厳密に言うと2駅手前の金野から)は長野県飯田市内に入ることもあり、少しずつ乗客が増え始め、毛賀下山村などからも複数名の乗車が見られた。

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 そして14時43分、豊橋を出て4時間1分で飯田に到着。半分ほどの方はこの駅で降りられた。飯田では8分停車、何もないところにずっといたので飯田が大都会のように感じられてしまう。もっともこの場所は名古屋から中央高速で2時間で辿り着ける場所であるが、、、

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 飯田を過ぎると再び降車の方が多くなり、15時15分に伊那大島に着く頃には誰もいないボックスが出てくるほどの空き方に戻った。

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 アニメでしか名前を知らない地名こと高遠原には15時41分着。良くも悪くもこの駅は「なんてこともない駅」であった。架空の中学校の知名度の方が高いような気もするが。
 16時13分に到着した駒ヶ根では8分停車。山帰りといった出立ちの方が乗車して来られた。ここから再び乗客が増えてくるようになり、車窓の撮影も難しくなってきた。

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 16時45分に伊那市着。この時間になると部活帰りの高校生もたくさん乗車し、ドア付近では立ち客も出始めるなど、この列車にとって最も賑やかな時間となる。高校の最寄駅に着くとジャージ姿の学生が乗車し数駅で降りていく、ということの繰り返し。ちなみに私の座るボックスは岡谷まで相席なし。クロスシートで相席をよしとしないのは地域性といったところか。

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 17時20分、辰野に到着。6時間38分かけて踏破してきた飯田線はこの駅が終点である。しかしほぼ全ての列車が岡谷駅まで直通しているからか、むしろこの駅も途中駅のような雰囲気さえ漂っており、少し拍子抜けするところがあった。唯一変わったことといえば、JR東日本の乗務員へと交代が行われ、駅が東日本仕様だったことぐらいだろうか。

 辰野から岡谷ではJR東日本中央東線辰野支線を走行する。この路線、かつて特急が走っていたこともあり線形はそこまで悪くはなく(遠回りなだけ)、買収国電でもないので駅間距離も長く、今までの低速が嘘のように軽快な走りを見せる。ちなみにJR東日本の乗務員が運行を担当する為、勿論ドア扱いは車掌が行う一般的な方式であった。

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 17時33分、岡谷に到着。豊橋から乗って来られた方は他にも数名ほどいたようであった。最後に6時間51分もお世話になった車両を撮影し、この旅を締めくくることとした。同じ列車に7時間近くも乗車し続ける、というのはいつぞやサンライズ出雲号に乗車した時以来であったが、とにかく感想としては「疲れた」が最初に来てしまった。大阪難波近鉄名古屋と大して変わらない距離に7時間もかける「鈍足列車」に乗っていて疲れないわけがない。しかしこれをやり遂げたのだから達成感はひとしおである。正直8時間勤務のバイトより長かったような気がするが、特に飯田以南においては移り変わる景色を楽しむこともでき、乗ってよかった、と感じる。

 

 岡谷からは中央東線普通列車に乗車し甲府・大月で乗り換え都内へと抜け東京の実家へと向かう。飯田線のスピードに慣れていた私は211系のスピードの速さに度肝を抜かれてしまった。

 

 さて、残るJR東海東海道本線支線(新垂井線)・武豊線参宮線名松線。夏休み中に行く計画でも立ててみるとしよう。

 

p.s.

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中央快速線の何気ない一コマ。トイレ設置工事は終盤となりグリーン車の新造試運転も進んでいるようですので、これまで当たり前に見てきた4・5号車の普通車もそのうち懐かしいものになるでしょうか。いや青編成がいるか

大阪の電波塔、知ってますか?

 みなさん唐突ですが

テレビ、見てますか?

いやまあ「最近はあんま見てないな〜」という方も少なくないと思います。若者のテレビ離れなんてのは今に始まったものではないですし、もっともこのブログもインターネットを通して公開していますし、これを読まれている時点で恐らくテレビからは目を離していることでしょう。

 しかしまあ、テレビを見たことがない!という方は恐らくいないのではないでしょうか。もしいれば今回の話にはついていけないと思います。ご容赦ください。幼い頃に見た教育テレビの番組、あるいはフジテレビのバラエティなんかの思い出が強い方も少なくはないと思います。今日はそんなテレビに関するお話。

 

 皆様ご存知の通り、NHK総合だとか日本テレビとか、所謂地上波放送と呼ばれているテレビ局は、送信所と呼ばれる塔から極超短波の電波を飛ばして各々の家庭に番組を届ける形で放送されています。東京を中心とする関東広域圏の場合、高さ634mの東京スカイツリーがそれを担っていることはここで敢えて説明する必要もないでしょう。

 では我が国で東京に次ぐ第2位、世界でも有数の大都市であろう大阪周辺の地上波テレビはどこから送信されているのでしょうか。正解は、というと大阪と奈良の県境にある生駒山。大阪近郊のテレビを送信していると言うのに、修学旅行のルートにも入れられるスカイツリーと比べると明らかに知名度は劣っており、観光地として名前が挙げられることも少ないこの山から送信されています。これ、大阪在住の方でも知らない方は一定数いるような気もしますね。

 まあとにかく、私自身も大阪に引っ越して1年、確かに子供の頃よりは減ったとはいえ暇つぶしにテレビは視聴していると言うのに、この生駒山には行ったことがない!というのは流石に見る資格がないのでは?と今回ふと思い立ったわけです。北九州親局は行ったのに大阪親局を知らないでどうする!という謎の使命感を片手に、ある日突然生駒山へと向かうことを決意するのでありました。

(参考:前回のあらすじってほどでもない前回のブログ)

musata.hatenablog.jp

 

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 と、いうわけで南大阪線沿線からはイマイチ行きにくい生駒まで道明寺・柏原・王寺経由で乗り継ぎ、生駒駅からもケーブルカーを乗り継いで2時間相変わらず接続は悪かった生駒山上駅へと到着しました。今回旅行した時はちょうどリニューアル工事の真っ最中、既に新しい看板が付けられ準備は大詰めとなっていました。

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 生駒山の頂上付近は近鉄グループの運営する「生駒山上遊園地」となっており、隣接する「PLAY PEAK ITADAKI」とともに近鉄電車の中吊りではおなじみの施設となっています。しかしこの時期は冬季休園中。関係者の方が作業はされていましたが、当然閑散としていました。それにしても頂上なのは変わりがない、大阪平野奈良盆地の両方の景色を見ることができました。

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 で、その中を歩いていると唐突に現れるのがこの一角。遊具のすぐ隣にある彼ら、飛行塔は別に園内にありますがこの形の建造物はもちろん遊具ではありません。その正体は、、というとここまで散々書いてきましたが在阪テレビ局の大阪親局がこの生駒山上遊園地の園内に設置されています。標高642mの山の上にある程度の高さの塔が建てられていますから、スカイツリーよりも高いところから飛ばしていることになりますね。

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 まず一番手前にあるのが讀賣テレビ(ytv)と毎日放送(MBS)のテレビ送信所、かつてはytvのみがここから送信されていたようですが、デジタル化に際しこの塔からMBSも送信されるようになったとのこと。

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 その隣にあるのが朝日放送(ABC)、テレビ放送とワイドFMのラジオ放送をここから送信しています。ちなみにAMラジオは高石市の高石送信所から送信されているとのこと。レトロな表札の社章は現役のものなんだとか。

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 こちらは関西テレビ(KTV)、略称の「カンテレ」の方が定着しているでしょうか。こちらはデジタルテレビ放送のみを送信しています。

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 こちらはNTT西日本の無線中継所、テレビを送信している以上電波の届きやすいところですから、このようにテレビ以外のアンテナもいくつか設置されています、

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 こちらがMBSラジオラジオ大阪(OBC)のワイドFMの送信所、かつてはこの塔からMBSのテレビも放送されていました。

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 少し離れたところにあるのがNHK、総合テレビと教育テレビ(Eテレ)の設備を共用しているとのこと。

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 と、見ての通りたくさんの電波塔が並んでいるわけなんですが、ここ生駒山は大阪と奈良の県境。この道一本隔てて大阪府東大阪市奈良県生駒市が分けられているというわけです。電波塔はその両側に建てられており、ytvとABCの送信所が奈良側、それ以外が大阪側となっています。ここからは、奈良側・大阪側両方を少し降りて中腹に建てられている送信所を見に行くことにしましょう。

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 まずは奈良側、道自体はあるのですがあまり整備されていないような場所を降りていきます。2回ほど滑って転倒したのは秘密

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 10分ほど降りると現れました。こちらが奈良テレビ(TVN)の送信所、文字通り奈良県内のみをサービスエリアとしている為、大阪側に電波の届かない奈良側の中腹に親局が建てられています。

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 こちらはNHK総合NHK-FMの生駒奈良北中継局、NHKの両局は奈良県内で県域放送を行なっている為、この場所から放送が行われています。ちなみに奈良親局は大和郡山市斑鳩町に跨る松尾山に設置されていますが、教育テレビは同局からの送信が行われていない為、この中継局からの電波を受信する局が多いのだとか。

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 さて、一度頂上に戻って今度は大阪側に降りてみることにしましょう。それにしても見晴らしが良い生駒山の山頂、この日は天気が良かったので大阪市内は勿論、北摂山系の山々まで見ることができました。ちなみに奥に見えるのはFM COCOLOの送信所です。

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 そして次は大阪側に降りてみることとします、こちらはハイキングコースとしてある程度整備されており、途中で人とすれ違うことも度々ありました。

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 30分ほど降りたところにようやくありました、大阪唯一の府域局テレビ大阪(TVO)の送信所です。こちらはTVNの逆、大阪府側のみを視聴エリアとしている為この場所に設置されています。地形の都合こうなったのでしょうが、ここまで見てきた局の中で一番立派な作りになっています。

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 実際のところこちら側に降りてきたのはTVOの送信所を見る為だったのですが、このまま降りれば額田駅まで行けるんじゃね!?という軽いノリでそのまま下に降りることにしました。送信所も見れるし日々の運動不足解消にもなる、これぞ一石二鳥!と言ったところでしょうか。この言葉はこういうところに使うのです。

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 ちなみに中腹からの眺めはこんな感じ、奥にあべのハルカスも見えますね。

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 さて、麓に降りてきました。こちらが枚岡公園、木々が生い茂る自然豊かな公園とでも言いましょうか。

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 5分ほど歩いてきたところがこの旅のゴール、近鉄奈良線の額田駅です。ここまで距離にして4キロほど、標高にして570mぐらいを降りてきました。所要時間は2時間弱と言ったところでしょうか。ここまで来れば10分に1本電車がやってきますから大阪市内まで一本で帰ることができます。ちっちゃくて可愛いこの駅、奈良線で一番乗降客数は少ないようですが、一気に都会に出てきたような気分になってしまいますね。

 

 さて、まあここまで在阪局(+TVN)の電波塔を見てきたわけですが、ハッキリ言って疲れました。テレビなんてものは家でコタツに入りながらぼーっと見るのが1番であり、送信所までわざわざ行くなんてことはする必要は普通ありません。

 しかし、日々の放送を維持するために山の上まで向かい、作業をしている技術者の方々のことを考えれば、テレビの番組を見れるありがたみも少なからず分かるのではないでしょうか。それを体感することができる旅だったと感じますね。皆様も運動がてら"放送の現場"である生駒山を歩いてみるのも、案外悪くないのではないでしょうか。ちなみに慣れないような歩き方をしたので翌日筋肉痛でベットから起き上がれませんでしたとさ。バイトに行く途中に阿部野橋駅の階段で疲れてどうするよわたし。

ぼっち・ざ・やけいでーと!

 突然ですが皆さん、夜景デートというものをされたことはあるでしょうか。僕はないです。まあ語感から察するに、多分夜景を見に行くデートっていうことで間違っていないでしょう。違ってたら教えてください。

 実際この夜景が見られる「夜景スポット」というのはそこそこ需要があるらしく、そんなものをまとめたサイトは山ほど出てきますし「日本の夜景100選」なんてものまであります。それだけ定番化されている夜景デート、まあ恐らく彼女と言ったら楽しいに違いない!というのは想像に難しくありませんね。というわけで今回の旅はというと

将来彼女ができる予定(時期未定)の男子大学生が今のうちに夜景デートの下見に行こう!!!

そんな話なわけです。場所は北九州の皿倉山、早速博多から区間快速で1時間、鹿児島本線八幡駅に向かうこととします。

ここまでの文章は九州旅行中に所謂乗り鉄である私が皿倉山ケーブルを乗り潰すにあたって、八幡駅から皿倉山への無料バスが冬季17時以降しか走っていないことに対し後付けの言い訳を考えたに過ぎません。正直なことを言えばここまでの文章に特に意味などない、というのは公然の秘密にしておきます。

 

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 というわけでこちらが八幡駅。製鉄所の名で全国に知られるこの街の玄関口とあってか、なかなかご立派なモノをお持ちです。この駅の前から無料のシャトルバスに乗り込み、向かうこととします。

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 バスに乗車し10分ほどで山麓駅に到着。メインルートは小倉駅からのバスor自家用車らしく、八幡からの乗客はわたし1人でした。

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 ちなみにこの日の気温、氷点下3度。旅行日(2023年12月22日)は福岡市内でも雪が降るような寒い日でしたので、ハッキリ言いますがとてつもなく寒かったです。大阪が寒いから九州に行こう!という僕の考えが間違っていたことをここで思い知らされたのは言うまでもなし。(後日談:正月明けこの話を福岡出身の友人にしたら呆れられました。思えば福岡って日本海側なのでそこまで暖かくはないんですよね、自業自得とはまさにこのことです。)

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 というわけでケーブルカーに乗り山を登っていきます。乗客は15人ほどだったでしょうか。やはり目立つのはカップルの姿、明らかに男一人で行く観光地ではなかったことは火を見るよりも明らかです。ちなみに福岡、地理的に韓国も近いので韓国人の方も多く見かけました。

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 ともかく、高低差440mを6分間かけて登っていきます。2001年に新造されたという比較的新しめのこの車両、駅停車中に充電する蓄電池式を採用しているため架線がなく、遮られることのない見晴らしを見ることができます。

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 で、山上駅からはスロープカーに乗車し山頂を目指していきます。無茶苦茶寒い。

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 で、着きました。こちらが山頂です。

はい、まあ感想としてはとても綺麗です。

標高622mの頂上から眺める北九州の景色、いやまあ男一人で見るのも確かに感動もんですが、確かに女の子と見ればその感動も倍増するのでしょう。しかしこの日は氷点下、とてつもなく寒い日にわざわざ寒い山の上なんか連れて行ったら嫌われるのかもしれません。まあ彼女いないんで知らんけど。

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 この訪問の直前に雪が降っていたこともあり、頂上付近はスキー場のような見た目の傾斜が広がっていました。ちなみに皿倉山では昭和26年にスキー大会が行われた記録が存在しているほか、実際にここを滑った方の映像も現在に至るまで残されています。


www.youtube.com

(引用元: KBC九州朝日放送YouTubeチャンネル)

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 そして忘れてはならないのがこれ。この皿倉山にはNHK九州放送局の親局があり、北九州・筑豊地区に向けてNHK総合NHK-FMの地域向けの放送が行われています。東京で言うスカイツリーの役割を北九州では皿倉山が担っているのか、、と寒い中眺めていた私。いや寒いんで3分ぐらいで屋内に入りましたけど。

 

 しかしその瞬間、大阪府民でもある私はあることをふと思い立ったわけです。

大阪のテレビ送信所、見たことないのおかしくない?

しかも調べるとケーブルカーで簡単に行けるらしい。これは行くしかない!ということで1ヶ月半後、生駒山に向かうのでした。

(つづきのおはなし)

musata.hatenablog.jp

 

 

p.s. 夜景デートの下見をしたのはいいですが、そもそも私は大阪府民なので北九州で下見をするのはよく考えなくてもあまり意味がありませんでした。大阪だとあべのハルカスあたりが多分丁度良いと思います。このブログはノリと勢いで書いたのでここまで意味は一切ありません、もちろんこのタイトルにも。