2024/10/14(月)旅程
電鉄出雲市→川跡→出雲大社前→川跡→松江しんじ湖温泉/松江→米子/富士見町→米子→倉吉→鳥取→郡家→八頭→郡家→智頭→上郡→姫路→大阪→天王寺
旅行最後の日、朝5時半に目覚める。まず向かうのは電鉄出雲市駅、今日は14年ぶりに一畑電車を訪問することから始める。この日は出雲駅伝の当日、駅伝にはあまり詳しくなく日程をここで初めて知ったが、大学ののぼりが立ったホテルの前でそれらしき方がミーティングを行っている姿が印象的であった。
JR出雲市駅の隣にある立派な高架橋が一畑電車の電鉄出雲市駅である。1階で乗車券を買ったのち階段を上ると、2100系3扉車の2両編成が停車していた。この車両は元京王5100系、登場からそろそろ60年であるが、元気な姿を見るとができた。電鉄出雲市を6時27分に発車し、高架を降りしばらく走ったのちに6時35分、川跡に到着。川跡からは大社線に乗り換え出雲大社前には6時50分に到着した。こちらも2100系であるが、今度は2扉改造車であった。どちらも塗装はオレンジに白帯のデハニ50形を模したもの、すっかりこの色は一畑電車の共通塗装になったようだ。
ここまで来たのでせっかくということで出雲大社を訪問する。以前訪問した際は修復中であったがそれも終わっており、かつ早朝のため余裕を持って回る歩くことができた。やはり観光地は早朝に行くに限る。
で、早くも今日はここから大阪に戻る方向で進む。出雲大社前7時38分発の川跡行に乗車し川跡から松江しんじ湖温泉行に乗り換える。大社線は往路と同じ2100系であったが、川跡からは今回のお目当てである1000系に乗車することができた。名前の通り元東急1000系の中間車であり、内装にも東急時代のものがかなり残存している。東横線沿線で育った私からすれば「日比谷線直通 北千住行」を思い出させるこの車両に出会えただけでも来て良かったと感じさせてくれる。
車窓右側にしんじ湖を望みながら進むこと1時間、終点松江しんじ湖温泉に8時44分に到着。前回訪問した際は南海車のイメージが強かったこの路線も東急車や自社発注車が入り車両の色も塗り替えられるなど、少しずつながら時の流れを感じさせてくれた。やはり過去に訪れた場所を再訪することは面白い。
さて、ここから30分ほど歩き松江駅まで向かったのち、次の訪問路線である若桜鉄道へと向かう。まずは松江9時37分発の米子行に乗車、キハ126形10番台による運用であった。所要時間34分、振り子特急にこそ敵わないものの良い走りっぷりである。終点米子に10時11分に到着、予定より1本はやい列車でここまでは来たが、米子での接続列車がない為ここで1時間ほど足止めとなる。
米子駅は橋上化されてから初めての訪問、これまでの駅とは全く雰囲気が違い驚かされた。しかし駅周辺を散歩していても人影はあまり見当たらない。特に少し歩いた「本通り商店街」はアーケードも撤去され、人影すら見られない。せいぜい人がいるのは米子高島屋の周辺あたりだろうか。
そんなことを散歩しながら歩いているうちに二駅分歩いてしまったので、富士見町から境線に乗車し米子へと向かう。とても高島屋の最寄駅とは思えないような簡素な造りの富士見町駅に4分遅れで到着した定刻11時6分発の米子行の「砂かけばばあ列車」は、2両分の座席が埋まる程度の乗客を乗せ5分ほどで米子に到着した。
さて山陰本線に戻ろう。米子11時20分発の倉吉行に乗車、車両はやはりキハ126形10番台の2両である。4人掛けボックスシートを1人で占有できる程度の混雑であり車内はのんびりとした時間が流れていたが、やはり性能が良いだけありハイスピードで走ることには変わりない。ちなみにこの車両は「名探偵コナン」のラッピング列車、今年は映画とのコラボで北海道でも走っていたが、青山剛昌先生の故郷は鳥取であり、こちらが本家とでも言えるだろうか。ファンの多い作品だけあり記念写真を撮られている観光客の方も多かった。
倉吉からは12時32分発の鳥取行に乗車。こちらは1両編成版のキハ121を2両繋げた編成であった。鳥取都市圏の需要があるからか接続列車の到着前から乗車が多く、そのあとも増え続けたのち鳥取大学前を過ぎた頃には、かなりの数の立ち客も出るほどであった。終点鳥取には13時18分に到着。ここで昼食をいただき休憩とした。
ここからは因美線に乗車し大阪方面へと向かってゆく。まずは鳥取14時35分発の智頭行に乗車、車両は智頭急行のHOT3500形2両であった。因美線のこの区間は智頭急行と若桜鉄道の第三セクター2社の車両が乗り入れる全国でも稀な区間となっており、JR車による普通列車の方が珍しいほどである。この列車もまた所謂アルバイト運用となっており、JR線内ながら少し違和感さえ感じる。私鉄2社が乗り入れるJR路線といえば他に思いつくのは常磐緩行線ぐらいだろうか?
その列車は3駅先の郡家で一旦下車し、若桜鉄道の乗りつぶしを行う。駅の観光案内所にて1日乗車券を購入し、停車していた若桜行に乗りこむ。乗車したのはWT-3000形の単行、NDC第一世代として37年も運用されているが車内はリニューアルされており古さはそこまで感じない。
水戸岡鋭治氏のデザインによりいかにも水戸岡氏らしい、と言えるようなデザインに仕上がっているこの車両、車内のボックスシートには机が設置された他昭和の客車のような雰囲気の椅子に変更され、インスタ映えするような(?)オシャレな設計となっている。
と書いたが、その座り心地は各位のご想像の通りである。たまに乗る程度には良いかもしれないが毎日利用する、となれば正直キツいのでは?と考えてしまう。強いて言うならこの机を高校生が勉強に使える、とでも書いておこうか、、、
列車は郡家を15時8分に発車、この日は祝日であり学生の姿はなかったが、車内には7,8人ほどが乗車していた。半数程度は同業者と言ったところか。基本的には八東川の流域に沿って走る為沿線は農地が中心であり、トンネルは一切存在しない。このような区間を30分ほど走行した15時42分、終点の若桜に到着する。
さて、今回の旅行でやる予定だったことは全て済んだのでこれをもって大阪へ戻るとする。若桜16時12分発の鳥取行に乗車し折り返し、16時45分に石破首相の地元でもある郡家に到着した。
今回「秋の乗り放題パス」を利用している為本来であればJRの普通列車で帰りたいところであるが、それでは終電までに南大阪線某駅に帰宅できない為、智頭急行の運賃1,320円を支払い智頭から上郡まで一気にワープする。
17時24分発の上郡行に乗車し、一路南へと向かう。ちなみに車両は奇しくも先程の智頭行と同じ組成のHOT3500形2両であった。
鳥取都市圏の需要からかしばらくは駅に着くたびに3,4人が降りていく様子であったが、智頭急行線に入ると岡山県・兵庫県と県境を短時間に2回越えることもあり、利用者が格段に少なくなっていく。とはいえ2両で15人ぐらいだろうか、比較的表定速度も速いからか想像以上に通しの利用者も多かった。そしてほとんど利用者が入れ替わらないまま19時16分に上郡に到着した。
上郡からは19時24分発の普通姫路行で姫路へと向かう。この列車は兵庫県内のみを走る列車ではあるが、運用上の都合か岡山地区の新鋭227系3両による運行。それにしてもそこまで新鮮味のないはずの[A]普通表記を3両編成で見ると違和感を感じてしまう、やはり慣れるにはまだ時間がかかりそうだ。
姫路で向かい側に停車していた19時57分発の新快速米原行に乗車、223系1000番台で複々線を駆け抜け20時58分に大阪に到着。ここから環状線と近鉄南大阪線を乗り継ぎ22時半ごろに帰宅した。