むさ日記(仮)

基本的には大学生の自分語りです。

中国地方のりつぶし旅 3日目【帰阪+α】

2024/10/14(月)旅程

電鉄出雲市→川跡→出雲大社前→川跡→松江しんじ湖温泉/松江→米子/富士見町→米子→倉吉→鳥取→郡家→八頭→郡家→智頭→上郡→姫路→大阪→天王寺


 旅行最後の日、朝5時半に目覚める。まず向かうのは電鉄出雲市駅、今日は14年ぶりに一畑電車を訪問することから始める。この日は出雲駅伝の当日、駅伝にはあまり詳しくなく日程をここで初めて知ったが、大学ののぼりが立ったホテルの前でそれらしき方がミーティングを行っている姿が印象的であった。

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 JR出雲市駅の隣にある立派な高架橋が一畑電車電鉄出雲市駅である。1階で乗車券を買ったのち階段を上ると、2100系3扉車の2両編成が停車していた。この車両は元京王5100系、登場からそろそろ60年であるが、元気な姿を見るとができた。電鉄出雲市を6時27分に発車し、高架を降りしばらく走ったのちに6時35分、川跡に到着。川跡からは大社線に乗り換え出雲大社には6時50分に到着した。こちらも2100系であるが、今度は2扉改造車であった。どちらも塗装はオレンジに白帯のデハニ50形を模したもの、すっかりこの色は一畑電車の共通塗装になったようだ。

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 ここまで来たのでせっかくということで出雲大社を訪問する。以前訪問した際は修復中であったがそれも終わっており、かつ早朝のため余裕を持って回る歩くことができた。やはり観光地は早朝に行くに限る。

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 で、早くも今日はここから大阪に戻る方向で進む。出雲大社前7時38分発の川跡行に乗車し川跡から松江しんじ湖温泉行に乗り換える。大社線は往路と同じ2100系であったが、川跡からは今回のお目当てである1000系に乗車することができた。名前の通り元東急1000系の中間車であり、内装にも東急時代のものがかなり残存している。東横線沿線で育った私からすれば「日比谷線直通 北千住行」を思い出させるこの車両に出会えただけでも来て良かったと感じさせてくれる。

 車窓右側にしんじ湖を望みながら進むこと1時間、終点松江しんじ湖温泉に8時44分に到着。前回訪問した際は南海車のイメージが強かったこの路線も東急車や自社発注車が入り車両の色も塗り替えられるなど、少しずつながら時の流れを感じさせてくれた。やはり過去に訪れた場所を再訪することは面白い。

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 さて、ここから30分ほど歩き松江駅まで向かったのち、次の訪問路線である若桜鉄道へと向かう。まずは松江9時37分発の米子行に乗車、キハ126形10番台による運用であった。所要時間34分、振り子特急にこそ敵わないものの良い走りっぷりである。終点米子に10時11分に到着、予定より1本はやい列車でここまでは来たが、米子での接続列車がない為ここで1時間ほど足止めとなる。

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 米子駅は橋上化されてから初めての訪問、これまでの駅とは全く雰囲気が違い驚かされた。しかし駅周辺を散歩していても人影はあまり見当たらない。特に少し歩いた「本通り商店街」はアーケードも撤去され、人影すら見られない。せいぜい人がいるのは米子高島屋の周辺あたりだろうか。

 そんなことを散歩しながら歩いているうちに二駅分歩いてしまったので、富士見町から境線に乗車し米子へと向かう。とても高島屋の最寄駅とは思えないような簡素な造りの富士見町駅に4分遅れで到着した定刻11時6分発の米子行の「砂かけばばあ列車」は、2両分の座席が埋まる程度の乗客を乗せ5分ほどで米子に到着した。

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 さて山陰本線に戻ろう。米子11時20分発の倉吉行に乗車、車両はやはりキハ126形10番台の2両である。4人掛けボックスシートを1人で占有できる程度の混雑であり車内はのんびりとした時間が流れていたが、やはり性能が良いだけありハイスピードで走ることには変わりない。ちなみにこの車両は「名探偵コナン」のラッピング列車、今年は映画とのコラボで北海道でも走っていたが、青山剛昌先生の故郷は鳥取であり、こちらが本家とでも言えるだろうか。ファンの多い作品だけあり記念写真を撮られている観光客の方も多かった。

 倉吉からは12時32分発の鳥取行に乗車。こちらは1両編成版のキハ121を2両繋げた編成であった。鳥取都市圏の需要があるからか接続列車の到着前から乗車が多く、そのあとも増え続けたのち鳥取大学前を過ぎた頃には、かなりの数の立ち客も出るほどであった。終点鳥取には13時18分に到着。ここで昼食をいただき休憩とした。

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 ここからは因美線に乗車し大阪方面へと向かってゆく。まずは鳥取14時35分発の智頭行に乗車、車両は智頭急行のHOT3500形2両であった。因美線のこの区間智頭急行若桜鉄道第三セクター2社の車両が乗り入れる全国でも稀な区間となっており、JR車による普通列車の方が珍しいほどである。この列車もまた所謂アルバイト運用となっており、JR線内ながら少し違和感さえ感じる。私鉄2社が乗り入れるJR路線といえば他に思いつくのは常磐緩行線ぐらいだろうか?

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 その列車は3駅先の郡家で一旦下車し、若桜鉄道乗りつぶしを行う。駅の観光案内所にて1日乗車券を購入し、停車していた若桜行に乗りこむ。乗車したのはWT-3000形の単行、NDC第一世代として37年も運用されているが車内はリニューアルされており古さはそこまで感じない。

 水戸岡鋭治氏のデザインによりいかにも水戸岡氏らしい、と言えるようなデザインに仕上がっているこの車両、車内のボックスシートには机が設置された他昭和の客車のような雰囲気の椅子に変更され、インスタ映えするような(?)オシャレな設計となっている。

 と書いたが、その座り心地は各位のご想像の通りである。たまに乗る程度には良いかもしれないが毎日利用する、となれば正直キツいのでは?と考えてしまう。強いて言うならこの机を高校生が勉強に使える、とでも書いておこうか、、、

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 列車は郡家を15時8分に発車、この日は祝日であり学生の姿はなかったが、車内には7,8人ほどが乗車していた。半数程度は同業者と言ったところか。基本的には八東川の流域に沿って走る為沿線は農地が中心であり、トンネルは一切存在しない。このような区間を30分ほど走行した15時42分、終点の若桜に到着する。

 さて、今回の旅行でやる予定だったことは全て済んだのでこれをもって大阪へ戻るとする。若桜16時12分発の鳥取行に乗車し折り返し、16時45分に石破首相の地元でもある郡家に到着した。

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 今回「秋の乗り放題パス」を利用している為本来であればJRの普通列車で帰りたいところであるが、それでは終電までに南大阪線某駅に帰宅できない為、智頭急行の運賃1,320円を支払い智頭から上郡まで一気にワープする。

 17時24分発の上郡行に乗車し、一路南へと向かう。ちなみに車両は奇しくも先程の智頭行と同じ組成のHOT3500形2両であった。

 鳥取都市圏の需要からかしばらくは駅に着くたびに3,4人が降りていく様子であったが、智頭急行線に入ると岡山県兵庫県と県境を短時間に2回越えることもあり、利用者が格段に少なくなっていく。とはいえ2両で15人ぐらいだろうか、比較的表定速度も速いからか想像以上に通しの利用者も多かった。そしてほとんど利用者が入れ替わらないまま19時16分に上郡に到着した。

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 上郡からは19時24分発の普通姫路行で姫路へと向かう。この列車は兵庫県内のみを走る列車ではあるが、運用上の都合か岡山地区の新鋭227系3両による運行。それにしてもそこまで新鮮味のないはずの[A]普通表記を3両編成で見ると違和感を感じてしまう、やはり慣れるにはまだ時間がかかりそうだ。

 姫路で向かい側に停車していた19時57分発の新快速米原行に乗車、223系1000番台で複々線を駆け抜け20時58分に大阪に到着。ここから環状線近鉄南大阪線を乗り継ぎ22時半ごろに帰宅した。

中国地方のりつぶし旅 2日目【山陽から山陰へ】

2024/10/13(日) 旅程

三原→広→呉/呉駅前→清盛塚→呉駅前/呉→広島→三次→備後落合→宍道出雲市


 三原市某所で目覚めたのは朝4時であった。予定通りと言えばそうなのだが、相変わらず旅行中は睡眠時間を満足に取ることができない。ひとまず準備を終え三原駅へと向かう。この日の三原市の日の出は6時11分、外はまだ真っ暗であるがその代わり南の空にオリオン座がはっきりと見えたのが印象的であった。

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 三原5時13分発の呉線広行に乗車する。列車は227系の3両、昨日のキハ127に引き続きなんの新鮮味も覚えない見慣れた転換クロスシートである。ちなみにキハは1+2列配置であったのに対しこちらは2+2列配置。どちらにせよ座り心地だけでは旅をしている!という感覚にはならないわけだが、国鉄時代は全国どこでも国鉄色485系が走っていたということを思えば、「Red Wing」という愛称がつけられたこの車両はまだ個性のある方か、とか考えたりもする。

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 当然発車しばらくは日の出前の真っ暗であったが、竹原を出たあたりから空は明るくなり始め、安浦を過ぎる頃には東の空から昇る太陽を望むことができた。それと同時にこれまで3両で6,7人であった乗客が増え始め、広に到着する頃には20人程度となった。

 終点のには6時46分に到着、列車交換こそ少なかったものの徐行区間も多く、三原から60kmを1時間半かけて走るという電車にあるまじき鈍足ぶりである。ここで向かいのホームに停車していた6時48分発の岩国行へと乗り換え、こちらも同じ227系であるが6両編成のツーマン運転であった。この列車に乗りまで向かい7時5分着、ここでまだ早い気もするが一度鉄道の旅を中断する。

 呉駅前7時20分発の桂浜・温泉館行の広電バスに乗車する。今回向かうのは音戸大橋、2年前瀬戸内海汽船に乗船し潜ったことこそあるものの、今回は陸路で訪れてみる。

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 バスに揺られ30分弱、音戸大橋を渡ったさきの「清盛塚」バス停で下車。ここは音戸の瀬戸を一日で切り拓いたとされる平清盛公を祀ったとされる塚であるが、参拝用の橋が大破したのち再建されておらず、外からお詣りすることとなった。

 その奥にあるのが音戸大橋、そのさらに奥が第二音戸大橋である。頻繁に行き交う航路の上を自動車もまた頻繁に走っている、そんな交通の要所でありまたこの赤いアーチが観光資源となっているようだ。

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 話は脱線するが興味深いものをひとつ。清盛塚のバス停近くの観光センターの前にこのようなポストが設置されていた。地元の高校生がデザインしたというこのポストは、沢山の牡蠣を絵柄に取り入れ「いいよ!!こいよ!!」「うん!おいしい!」という文言を盛り込んだ可愛らしいものとなっている。そしてこのポスト自体が音戸の観光資源となっているのだという。町おこしなんてものは全国どこでも行われているが、結局このようなインパクトのある箱物(?)で知名度を広める、というのは一つの正解なのかもしれない。

 呉に戻ったのち9時17分発の快速安芸路ライナー広島行に乗車する。車両はお馴染み227系、こちらは3両ワンマンながらかなりの乗車率であり呉時点で既に立ち客も目立つ。車窓に流れる瀬戸内海沿いの景色をボーっと眺めていたが、途中から爆睡してしまい気づけば広島に到着していた。

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 広島で1時間ほど暇だったため駅周辺を散策、来春開業するという駅前大橋線の状況を確認した。確かに工事の進捗は進んでいるものの桁の設置も未完成な場所があり本当に間に合うの?といった様子。大規模な系統再編も行われると思われ、完成が待ち遠しいところである。

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 さてここから再び未乗区間へと戻っていく。広島11時2分発の快速安芸路ライナーにて三次へと向かう。列車はキハ47の2両編成、乗車率は70%ぐらいといったところか。

 広島から下深川までの各駅停車区間を経たのちは比較的スピードを出しながら快走していく。あまりにも広い広島市内を通り抜けたのち、近年知名度が何故か全国区となった安芸高田市を経て三次市に入るルート、その距離68.8km。かなり速度を出すからというのもあるだろうが、他所者の考えている印象よりもこの間の距離は離れているような気がする。その区間を爆走した国鉄気動車は12時24分に三次に到着。これをもって私は2日がかりの芸備線完乗を達成した。

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 さて、ここからは今日最後の完乗路線である木次線へと向かうこととする。三次駅近くのローソンで買い物をしたのち13時発の備後落合行で備後落合へ、昨日と同じキハ120単行であるが今日はセミクロスシートの300番台、ただし混雑しており相変わらず着席するのはロングシートである。そして私は前夜の三原での3時間睡眠の代償とでも言おうか、再びこの区間でも爆睡してしまい起きた頃には14時19分、終点の備後落合に到着した。

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 2日連続2回目の備後落合、ボランティアの方に加え今日は応援の駅員さんも駆けつけ、一段と盛況を見せることとなる。昨日乗車した新見からの列車、そして三次に向かう列車は相変わらずの盛況ぶりを見せていた。

 一方で私の乗車する14時44分発の木次線宍道行は、というと満席とはならず乗車率70%程度であった。もっとも午後のこの時間から日本海側に出ても当日中に東京には帰れない時間であり、普通列車乗り放題の客からしてみれば山陰に宿泊することがほぼ決定事項となるこの列車の使い勝手は、良いものとは言えないだろう。しかし、私の座席こそロングシートであるが立ち客がいないと比較的ゆったりと乗車できるので悪い気は全くしない。いやむしろ芸備線が異常だったとも言うが。ちなみに車両はまたもやキハ120単行、ただし今回は鋼製車の200番台でありこの2日間で全番台乗車を達成してしまった。

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 さて、相変わらず山奥の備後落合を出た列車はとにかく山を登っていく。備後落合から上り勾配が続き、島根県に入った2駅目の三井野原では標高726m、JR西日本で最も高い駅となる。もっとも、大阪の生駒山とそこまで変わらないと言われればそうなのだが。

 この駅を出たのちは山を下る形にはなるが、これも一筋縄では行かない。国道314号線の橋を車窓に望んだのち、次の出雲坂根木次線の象徴とも言える三段式スイッチバックにさしかかる。もちろん車内は同業者が大半であり、絶景が見えた時、またスイッチバックの時にはシャッター音が鳴り響き動画の音も聞こえる。

 ちなみにこの木次線芸備線と違うこととしては普段使いの利用者が目立つことが挙げられよう。もちろん旅行者が大半ではあるのだが、1,2駅のみ乗車する地元の方も目立ち各駅で乗降がある。ローカル線という域こそ抜けないものの「鉄道ファンしか利用しない」というのは出雲横田以南に限った話であり、普段使いをされている方もよく見かけた。

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 17時43分、終点の宍道に到着。この駅は一部の特急も停車する駅であるが、16時以降は無人となっており駅周辺は閑散としていた。ここからは山陰本線に乗り換え出雲市へと向かう。宍道18時10分発の出雲市行はキハ126の2両編成での運行、この車両には初めて乗車したものの高速運転を目的として製造された車両とあってキハ120なんかとは比較にならない快速ぶりを見せてくれる。もっとも、座席はボックスシートであり座り心地が良いとはお世辞にも言えないが。

 終点の出雲市に18時27分に到着し、少し早いが今日の旅程はここで終了とする。特急やくも、或いは後続のサンライズ出雲を待つ客を横目に改札を出て、この日の寝床へと向かった。

中国地方のりつぶし旅 1日目【キハ120でゆく中国山地】

 北海道のブログに続きかなり遅れての投稿となってしまうが、今回から3回は10月の3連休に「秋の乗り放題パス」を使いなんとなく中国地方の東半分を旅行した話をブログとして書いていこうと思う。目的は例によって未乗路線への乗車、姫新線芸備線呉線福塩線木次線若桜鉄道といった路線に乗車するためである。そんな話をツラツラと書き記していきたいと思う。

 

2024/10/12(土) 旅程

姫路→播磨新宮→佐用→津山→新見→備後落合→三好→府中→福山→尾道


 今回は旅程の都合上、1日目にして姫路からのスタートである。この前日大学の5限の授業が終わったのち、天王寺→西九条→阪神尼崎→山陽姫路へと移動し姫路市内に前泊しここに臨むこととなった。厳密にはこの前日を1日目と言うのかもしれないが、強いて言うなら山陽電車に乗車したのは1年ぶりか、という程度でありあまり旅行感もなかった為ここは「0日目」とでもしておこうか。

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 6時過ぎに起床したのち徒歩にて姫路駅へとむかう。姫路6時55分発の播磨新宮行はキハ127系2両であった。関空快速で見慣れた1+2列の転換クロスシートは座席が埋まる程度の混雑、この形式に乗車するのは初めてであるが、乗ってしまえばもはや何も新鮮味を感じない。

 姫路を発車するとまもなく山陽本線と分かれ、姫路郊外の住宅街へと入っていく。一部トンネルもあるものの夢前川や揖保川の流域の平地を走っており、余部や本竜野といった主要駅では降車があるものの、同程度の乗車も見られるといったところである。ちなみにこの路線の最高速度は100km/h、高速化工事が行われていることもあり普通列車のみが運行される非電化単線とは思えないような走りぶりを見せてくれる。大阪府民としてはこれが余計に「新鮮味の無さ」を感じさせられるのだが。

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 そして7時29分に播磨新宮に到着、ここで佐用行に乗り換えとなる。しかし驚いたことにこの列車も同じキハ127系2両であった。列車両数が変わらないのになぜ乗り換えさせるのだろう、という素朴な疑問は当然生まれるが、運用だとか検査周期だとか大人の事情は当然生じるものであり、そこにツッコミ始めたらキリがないようにも感じる。もっともこの時間は平日なら高校生の通学に使われる時間であり、需要の有無で言えば「ある」のだろう。

 ジャージを着た高校生?がいなくなった分少し空席が生まれた佐用行は、7時45分に播磨新宮を発車。ようやく(という言い方は明らかに誤用である)郊外と呼ばれる場所を抜け、ありきたりなわが国の風景へと移りかわり始める。とはいえチンタラ走るといったこともなく、快走という言葉が似合うようのは変わりない。そんな区間を30分ほど走り8時17分に佐用に到着し、再び乗り換えとなる。

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 ここから先は岡山色のキハ120単行で山あいの区間を進んでゆく。佐用はギリギリ兵庫県内であるが、この車両を見るだけで中国地方に来たと感じさせられるのは致し方ないだろう。佐用8時32分発の津山行はまたやはり、座席が埋まるほどの混雑であった。

 雰囲気が変わるのは次の上月からである。高速化工事の実施された区間が終わり、最高速度も85km/h、しかも全ての区間で出せるわけがなく山間部では25km/h規制区間すら存在する。そしてトンネルを抜けるとそこはもう岡山県である。

 もっともこの地区の移動需要はある程度存在しているようで、林野を出たあたりから少しずつ乗客が増え、津山に着いた頃には立ち客も出るほどの混雑であった。丁度1時間乗車したこの列車は9時32分に終点津山に到着、無人駅が多い分有人改札はかなりの行列ができていた。

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 姫新線4本目は津山10時丁度発の新見行、こちらも相変わらずキハ120の単行であった。先ほどの列車の客は津山線の岡山行にかなり吸い込まれたようであるが、こちらもやはりボックスは早々に埋まりロングシートも空席の方が少ないように見える。

 津山市内から隣の真庭市に入るあたりまでは比較的線形も良いようで、軽快気動車の名に相応しい(?)軽快な走りを見せてくれる。これが一変するのは、乗客が1/3ほど入れ替わった中国勝山を過ぎてからだろうか。この駅を過ぎると草木の生い茂る森の中をはしるようで、徐行する区間も必然的に多くなってくる。ちょうど「森の芸術祭」が開催されるようでそれ目当ての観光客の方もいたが、地元の高校生が進路について話し合っていたのがやけに印象的であった。

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 終点新見には11時41分に到着、待ち時間もあったものの姫路を出てから5時間弱といったところである。岡山の県北を横断する所要時間として長いと感じるか短いと感じるかは人それぞれであると思うが、あくまで「乗り鉄」の視点で言えば関西方面からは決して行きやすくはないと言うのが感想である。

 少し駅周辺を散歩した後、近所のローソンで昼食を買い、それを川の土手の下で食べたのち駅に戻ってくると既に12時40分であった。

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 新見12時58分発の備後落合行はやはりキハ120の単行であったが、岡山車で唯一浜田色をまとう357であった。乗客は40名ほど、座席は埋まり立ち客が出るほどの混雑である。閑散ローカル線という言葉が全く似合わない有様だが、仕方ないといえば仕方ないだろう。

 広島県最初の駅・東城で10人ほど下車されるざ、それ以外は目立った乗降もなく中国山地の中を走ってゆく。時々減速したかと思えば徐行区間、スピードを上げたり下げたりしながら進んでいくといったところである。その山が少し開けたところにあるのが、この列車の終点である備後落合であった。

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 この備後落合駅、とにかく人が多い。14時24分に到着した時点で既に三次方面からの列車は到着しており、その1分後に木次線も到着する為、どれも満員であった3列車から放出された100名近くが一気にこの駅に集まることになる。シーズンを外せばガラガラ、というのはよく聞く話であるが、いかんせん平日1日休みだからと言ってフラッと行けるような場所でもない。ポジティブに捉えるなら「ローカル線のおかげで賑やかになった」とでも言おうか。それも1日1回だけではあるのだが。

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 14時40分発の三次行もやはりキハ120単行。今度は広島色、それも関西本線でもお馴染みのロングシート0番台であった。当然のように座席は埋まり、立ち客もそこそこ見られるなど、ここにきて今日一番の混雑である。もはや「オーバーツーリズム」という言葉すら頭に浮かんでしまうが、大半の客が割引運賃で乗車していると考えれば増結なんて言うわけにもいかない。私もなんとか席を確保できたことを幸運に思うこととしようか。

 この駅を出ても大して景色が変わるわけでもなく、しばらくは駅間距離の長い山の中の区間をウネウネと走り続ける。備後庄原を越えると田園風景へと変化していくが、やはり利用者の数は対して変わらず、これ以前の車内で見たことのあるような顔ばかりである。ちなみに余談であるが、その顔ぶれは若い世代はそこまで多くなく、中高年の方が中心であった。10月という比較的忙しい時節柄、夏休みの東海道線静岡口のような大学生はあまり見られなかった。

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 終点三次には16時丁度に到着、翌日の旅程の都合上ここで芸備線の旅は一度中断し、福山へと抜けることとする。やはり大半の方は5分後の広島行快速へと乗り換えられるようで、小走りで跨線橋を駆け上がる方の姿が目立つ、私はというと一番最後に車両を降りゆっくりと橋を渡ってから広島行の発車を見送った。

 三次では少し時間があったので少し歩き近所の「サングリーン三次」へ。1階のゆめマートで飲み物を買い、また少し散歩をすると丁度良いぐらいの時間であった。

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 ここからは今日最後の未乗路線、福塩線に乗車する。三次16時52分発の府中行として乗車するのは今日5回目のキハ120、しかも先ほど三次から乗車してきた列車と同じ車両であった。ちなみに乗車率は60%程度、乗車目的で来られているような方は先ほどに比べれば多くはない。

 列車は3駅分芸備線を備後落合方面に戻ったのち、塩町から福塩線に入る。沿線人口も少なくかつ駅間距離も比較的長いこともあり、かなりゆっくりとした速度で走り忘れた頃に駅に到着する、といった様子である。そして、普段使いの利用者が中心であることから乗客の入れ替わりも比較的見られる。そして終始丁度良いぐらいの乗車率を保っていたまま18時39分、1分遅れで終点の府中に到着した。

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 ここから先はなんと今日初めての「電車」である。ここまで12時間ほど定期的に電車と呼称するとSNSクソリプを飛ばされる乗り物に乗車してきたわけだが、ここからは4両編成の電車に揺られることとなる。

 府中18時44分発の福山行に乗り込む。乗車した105系電車は通勤仕様となっており言うまでもなく車内はロングシート、しかしバス部品を使っているような単行気動車に比べれば広々としているのは言うまでもなく、快適な車内環境が保たれているのでそこまでストレスはない。

 この区間はかつての特殊狭軌線であり、頻繁に駅があることからこれまでの非電化単線とは全く違う印象を受ける。少しずつ乗客の流動もあり、都会に来たとさえ感じさせてくれる。途中13もの駅に停車したのち終点福山には19時30分に到着、お腹が空いていたこともあり駅近くのラーメン屋で「尾道ラーメン」を頂く。万人が食べやすいであろうアッサリとした美味しいラーメンであった。

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 福山からは今日の目的地である三原へと向かう。福山20時22分発の糸崎行で糸崎に向かったのち、糸崎から20時51分発の広島行に乗り換え20時54分に三原に到着。車両はそれぞれ115系と227系出会った。今日は三原に宿泊、広島県内に宿泊するのは1年半ぶり、三原という街は初訪問であった。

#むさ夏北海道2024 7日目【余った時間(?)】

2024/9/1(日)旅程

釧路→南千歳→新千歳空港

環状通東→さっぽろ/札幌→白老→南千歳→新千歳空港


 1週間にわたる北海道旅行も今日が最終日である。本来釧路にいるはずだった私は札幌のネットカフェで目が覚め、環状通東から東豊線に乗車しさっぽろへと向かう。

 さて、この日の当初予定は「石勝線乗車」であり、それがなくなった今完全にやることがなくなってしまった。一応プランとしては複数案考えたものの、折角「北海道フリーパス」がありJRは乗り放題であることから、少し足を伸ばし白老町にある「ウポポイ」に行ってみることとした。

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 札幌8時43分発の北斗6号の指定席を取り、それに乗車すること1時間、9時44分に白老に到着した。ここからウポポイまでは徒歩10分ほど、線路沿いに沿って苫小牧方面へと歩くと程なくして到着した。

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 このウポポイ、世間では様々な意見がどうもあるようであるが、私個人の感想を言えば想像以上のものであった。勿論現代にアイヌ文化を完全再現なんてものは困難ではあるだろうが、少なくとも我々現代人に向けてそれを紹介する、という面では非常に充実した施設であると感じる。正直あまり期待していなかったので予想外の収穫であった。

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 もっとも1週間北海道の特急に乗っていた人間としては、入口での挨拶「イランカラプテ」で妙にツボに入ってしまったのだが。

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 さて、適当に時間を潰せたので空港へと戻るとする。白老12時56分発の北斗7号に乗車、ここで北海道フリーパスの指定席6回目を利用し南千歳へ向かう。そして南千歳から快速エアポート88号に乗り13時37分に新千歳空港に到着。これにて北海道での移動は全て終了となった。

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 やはり夏休み終わりの日曜日とあって新千歳空港は大混雑、どこへ行っても満員であったが、なんとか知人への土産物だけ購入し関西へと戻る飛行機へと搭乗した。

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 新千歳空港15時35分発のHD120便にて神戸空港へと向かう。神戸便だからだろうか、混雑している新千歳の割にはバス1台で乗り切れるほどの搭乗率であった。久しぶりの737-700への搭乗であったが、ここまでの疲れもあってか2時間ほぼ寝たままで過ごし、定刻より10分早く17時25分に神戸空港へと到着。ポートライナーから阪神電車とJR環状線を乗り継ぎ19時過ぎに南大阪線某駅へと帰宅した。

 

 さて今回の旅行に関しては、当初予定していた旅程を全て完遂できたわけではなく正直申し上げると「消化不良」である。しかし、北海道を回るというところでは1週間という期間は丁度良いものであり、非常に有意義な時間であった。もう少し短くても長くても後悔していたのでは?という絶妙な期間である。そして何より「また行きたい」と思うことができ、時間と金さえ許せばいつでもまた行きたいと考えさえする。

 さて、残る釧網本線と石勝線、根室本線の計606.1kmについては私はいつ行けるのだろうか。その為には必死にバイトをしないといけないわけだが。

#むさ夏北海道2024 6日目【無念の白旗】

2024/8/31(土)旅程

北見→網走東釧路根室→釧路

旭川→札幌→西11丁目→大通→環状通東


 前の日の晩、北見市内のホテルで明日に向けた情報収集をしていたところJR北海道のホームページにこのような記載があった。

釧網本線 始発から運休

 どうやら発達する低気圧の影響により8/31はひとまず始発から道東地区のJRは運休する旨であった。この日の計画は、北見から網走に向かった後、釧網本線花咲線を乗り継ぎ16時前に根室に到着。納沙布岬を訪問した後に釧路へ戻り釧路泊、というかなりハードな計画であった。しかし、乗車予定の網走10時24分発の釧路行が運休となったことで花咲線にたどり着くことができなくなり、俗に言う「旅程崩壊」となってしまった。

 とはいえ網走までの石北線には乗車しておきたいところ。予定通り網走までは移動した後、この後の移動手段については考えよう、と決意し床に就いた。

 

 起床すると枕元のデジタル時計は「07:30」を指していた。この日宿泊したのは北見駅から徒歩15分ほどのホテル、久しぶりに快適な布団に入ったところ8時間ほど爆睡してしまったようである。大急ぎで荷物をまとめチェックアウトし、小走りで向かった北見駅に到着したのは7時51分、ちょうど改札から向かって右側のトンネルから気動車が出てきた頃であった。天気は曇り、「釧網本線運休」の報は相変わらずであったが少なくともオホーツク地方ではそのようなことはなかったようである。

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 北見7時57分発の網走行はH100形3両編成であった。乗客は3両合わせて20人といったところである。この列車が輸送力過剰なのは、今日は土曜日であり高校が休みのため。平日ならば恐らく高校生で満員になるのだろう。

 日本最北端の高架駅である柏陽とその次駅である愛し野で2分ずつ停車する。両駅とも高校の最寄駅であり降車に時間がかかると推測できるが、いずれの駅もこの日下車したのはジャージを着た高校生がそれぞれ2,3人程度であった。暫くは北見の市街地を走行するものの、程なくして景色は農地と森林地帯へと変化していった。

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 いかにも北海道、というような景色を1時間ほど進んだのち9時1分に網走に到着。網走では買い出しをする程度、と当初は考えていたものの予定外に時間に余裕ができてしまった為、網走監獄へと向かうことにした。網走駅から網走バスで10分ほどの距離であり、入場料は大人1,500円と高額ではあったが、それに見合った場所であったと感じる。

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 さて、網走駅へと戻った後

①次の「大雪4号」にて札幌方面へ

釧網本線の運転再開まで網走で待機

 の2つの手段について検討をした。しかしふとTwitterを見ると「石勝線 土砂流入」というニュースが入ってくる。明日釧路から石勝線経由で新千歳空港へ向かう予定であったことから、この路線が運休すると死活問題となってしまう。ここは本意ではなく「北海道全線完乗」の夢は持ち越しとなってしまうものの、網走にて旅行を断念し来た道を引き返す決断をした。

 ちなみに一度案内掲示板に表示された釧網本線列車であるが、この路線にも被害があったようで、程なくして知床斜里以南の終日運休が発表された。そして石勝線も復旧には最低でも数日はかかる、との報道も流れてくる。少なくとも釧路で取り残されるよりはマシとポジティブに考えるか、、、後日談ではあるが結局運転再開したのは4日後のことであった。

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 ひとまず、網走12時37分発の大雪4号にて来た道を戻る。発車してすぐ右側に網走湖が見えたのち、やはり見覚えのあるような無いような、という景色を眺めつつセイコーマートで購入した酒を飲みつつ「ジンギスカン弁当」を食べる。そしてやはり遠軽で座席の向きを変え、私自身も寝たり起きたりを繰り返しつつ車内でのんびりと過ごす。

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 時計の針が15時を回りしばらく経ったのち、中越信号場で一旦停車する。当初は信号待ち、とのことであったが特に交換する列車もないのに10分近く動かない。どうやらこの先の踏切が故障しているとのこと。程なくして発車したがすぐに踏切の手前で一度停車。結局これの影響で旭川には12分遅れの16時27分の到着、旭川は雲ひとつない快晴であった。

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 そこから向かいのホームに停車していたライラックに乗車し札幌へ。自由席はいつも混んでいるこの特急であったが、指定席に関しては休日ダイヤなことを忘れるようなガラガラであった。結局札幌には17時55分に到着、同じ都道府県の中でも移動に5時間もかかることに北海道の大きさを感じざるを得ない。

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 本来なら根室や釧路にいたはずのこの日、札幌でやることなど最初から無かったわけであるが、なんとなく札幌市内を徒歩で移動してみた後、札幌ラーメンの有名店だという西6丁目の「ラーメン信玄」に並び食す。ラーメンの美味しさもさることながら、ついでに注文した炒飯の味が絶品であった。

 勿論宿など考えているわけがなかったが、環状通東駅近くのネットカフェに空きがあるとのことで東豊線にて移動。結局この旅3度目の札幌での宿泊となった。

#むさ夏北海道2024 5日目【乗りつぶし修行(その2)と石北本線】

2024/8/30(金)旅程

旭川富良野→滝川→深川→石狩沼田→深川→旭川→北見


 旅行の朝は早い。この日の起床は4時30分、宿は相変わらずネットカフェである。しかも私の席は換気扇の真下であり、その音のせいでほとんど眠ることすらできなかった。この日は5日目、即ちこの旅行も既に後半戦であるが、午前中に未乗路線に乗りつぶした後、ついに道東方面へと足を踏み入れる。

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 旭川5時44分発の富良野行はH100形単行での運行、閑散とする旭川の1番線から乗車したのは私を含めて2人であった。しばらくは駅間距離の短い旭川の市街地を走行するが、やはり西御料を出た頃からは大地の中を走ることとなる。少しずつ乗客も増えていく中朝日に照らされる畑の中を見届けること1時間、7時1分に富良野に到着した。

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 富良野からは根室本線に乗車し滝川へと向かう。かつて「鉄道ファン」にて滝川発根室行の普通列車2429Dの特集を見て一度は乗りたい、と考えたこともある私であるが、その夢は叶うことなく今年春に富良野新得間が廃止されてしまった。これまで北海道に行くタイミングのなかった私にとっては今回が初の根室本線乗車、富良野7時39分発の滝川行はキハ40単行での運転であった。

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 しかしこの区間も学生の通学ルートとはかなり外れているようで、富良野時点での乗客は3名、そのあと滝川に向かうにつれて若干増えたものの空席が目立つのは変わりなかった。結局1時間近く空知川に沿って走り、滝川には8時45分着。

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 ここからは一度特急ライラック5号に乗車し深川へと向かう。千歳線内で早朝落雷があったようで、3分遅れの8時55分に滝川を発車した。自由席は60%近い乗車率であった。やはりその遅れを維持したまま9時8分に深川着。向かい側に停車中の留萌本線に乗車する。

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 深川9時13分発の石狩沼田行に乗車する。車両は今回の旅行で初乗車のなるキハ54形、車内は簡易リクライニングシートであるが、既にかなり劣化しており座り心地はお世辞にも良いとは言えなかった。勿論冷房はない為窓は全開である。

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 ちなみに乗客は8人、いずれも乗車目的の人間のように見える。石狩沼田到着前に「折り返し列車に乗る際も荷物で座席を確保しないように」との旨が自動放送として流れるのは、良くも悪くもこの路線の現状を象徴しているとも言えるのではないか。

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 折り返し9時43分発の旭川行は15名ほどの乗車であった。勿論先ほどの石狩沼田行の乗客は全員乗車、それとは別に一般の利用者の方が石狩沼田と北一已からいらっしゃった。そして10時丁度に深川着。想像以上に呆気ない路線であった。

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 このまま普通列車旭川まで向かうことも考えたが、ここで生温かいキハ54を降り冷房の効いた789系に乗車する。深川10時6分発のカムイ7号で旭川10時25分着、かなりの俊足ぶりであったので降りるのが名残惜しいほどである。

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 旭川駅前で「山頭火」のラーメンを食べた後、12時41分発の大雪1号に乗車する。車両はキハ283系3両編成、この車両に乗るのも実は初めてである。オールモノクラスの編成に寂しさを感じるものの、2号車指定席に乗車していたのは15名ほどであった。

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 宗谷本線や函館本線などとは違い石北本線内は一切高速化されていない為、最高速度95km/hでの運行となる。元振り子車に乗車しているから感じるという点もあるとは思うが、かなりゆっくり走っているという印象を感じる。ちなみにこの列車の旭川〜網走間の表定速度は61.2km/h、前々日に乗車した日高本線普通列車は63.2km/hであり、これより遅いことになってしまう。ここではお酒は飲まず旭川駅で購入しておいた「カツゲン」を飲むこととした。

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 上川を発車すると峠越え区間に入り、かなりゆっくり走るような印象を受ける。ノロノロと、というのは誇張表現ではあろうが人口の少ない地域を走ったのち14時45分、遠軽に到着。ここで1/3近い方が下車される。この駅で進行方向が変わり今まで寝ていた隣席の方も起床され、一斉に座席が回り始める。もっとも埋まっていなかった座席は発車後に車掌さんによって回転されていたわけだが。

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 石北本線で忘れてはならないのは留辺蘂だろう。小学生の頃同級生とやった「駅名しりとり」で勝つために調べて見つけ出したこの「るべしべ」という地名。大変お世話になり幾多の勝利に貢献して頂いたこの駅であるが、留萌駅が廃止になった今や唯一の「る」であるこの駅をこの目で見ることができたのは、感慨深いものさえあった。

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 玉葱畑の間を抜け北見トンネルをくぐったのち、15時44分にオホーツク管内最大の都市である北見に到着。この旅行も5日目を迎え休憩、の意味もこめ今日はここで終了することにする。

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 北見市には初訪問、冬季五輪は割とテレビで見る私であるが、カーリングのハウスが想像以上に大きかったのが最大の発見であった。夕食はセイコーマートでカツ丼と適当なツマミを購入し、サッポロクラシックとともに頂いた。

#むさ夏北海道2024 4日目【キハ261でゆく宗谷岬】

2024/8/29(木)旅程

栄町→さっぽろ/札幌→稚内旭川


 この日は乗車列車が3本と少なかったものの、移動距離は650km以上になる、という一日であった。なにせ日本最北端・稚内へと向かったというそれだけの話であるが、この日は列車の乗車時間が長く極端に写真が少なくなったことを予め断っておく。

 

 前日宿泊した栄町を朝のうちに後にし、さっぽろまで東豊線に乗車する。車内部活の朝練に行くであろうジャージ姿の高校生の姿が目立つ。北海道の夏休みは短いというのはよく知られた話であるが、この姿を見ていると遊んでいる自分自身が申し訳ない気分になってしまう。

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 朝食を食べた後札幌の改札に入りホームに向かうと、キハ261系0番台が4両編成で既に待機していた。昨日新琴似駅にて指定席を引き換えていたこともあり、自由席に並ぶことなく2号車の座席へと腰掛ける。登場から四半世紀近く経つこの車両であるが、車内は綺麗に整備されており特に古さを感じることはなかった。

 札幌を定刻通り7時30分に発車。指定席の乗車率は60%と言ったところだろうか。見た感じ観光客といった雰囲気の方が多いがビジネス客らしき姿も見える。一方乗車前に確認したところ自由席には立ち客もいるようである。自由席需要も大きい札幌〜旭川間を走行する以上1両の自由席ではやや輸送力不足と言ったところだろうか。

 旭川までの区間函館本線を走行する。線形もよくスピードも出やすい区間であるが、正直に申し上げると私はこの区間において爆睡してしまい、気がついたら旭川の手前であった。もし途中駅で降りようとしていたのであれば一大事であったが、いくら寝ても問題ないというのは長距離乗車のメリットかもしれない。

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 8時58分旭川着。函館本線はここで終わりであり、指定席からも7,8人の方が下車された一方5,6人ほどの方が乗車され、9時丁度に発車した。ここから先の宗谷本線は未だ足を踏み入れたことのない土地であり、より一層乗る側としても熱が入る。

 とは言ったものの、宗谷本線に入っても直線的な線路を高速で走行するのは変わらない。強いて言えば架線がなくなり単線だ、というところだろうか。宗谷本線の名寄以南は高速化工事が実施された区間であり、この特急宗谷号は76.2kmを54分で走破し、表定速度は86.7km/hにも達する。この列車の旭川以北の93.3km/hにこそ及ばないが、立派な走りと言っても構わないだろう。

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 それが一変するのは名寄を発車してからである。以前特急ひだ号に乗車した際「猪谷を境に乗り心地が変わる」という話を書いたことがあったが、この宗谷本線においても名寄を境に変わると言っても過言ではないのである。最高速度も95km/hに制限され、カーブも多くなる。それでいて人里離れた山の中をひたすら走行していく。

 しかしながら指定席の乗客は殆ど減ることがない。名寄で数人の入れ替えがあったのみで他の駅ではせいぜい1,2人が降りるかといったところ。要するに大半の指定席利用者が札幌〜稚内の全線を通して乗車していたということである。

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 北緯45度線を越え豊富を過ぎると、さらに景色は変化する。車窓いっぱいに原野が広がり、その奥には風力発電の風車が見える。丁度北海道でロケされた欅坂46の名曲「世界には愛しかない」のMVに出てくる世界と言えば伝わるだろうか。

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 そして12時42分に終点・稚内に到着。札幌から5時間12分、リクライニングシートのおかげもあり(比較対象が飯田線ということもあるだろうが)そこまで疲れずに過ごすことができた。

 さて、せっかく稚内に来たことなので、北方領土を除く日本最北端・宗谷岬を訪れようと思う。駅に直結する稚内駅前ターミナルにてで宗谷岬まで宗谷バスの往復乗車券を購入したのち、13時30分発の浜頓別行に乗車した。乗車したのは50人ほど。バスで宗谷岬まで往復できる便は1日実質2本のみ、そして札幌からの特急に接続できる便はこの1本のみであることから集中してしまうのは仕方ないだろう。

 稚内高校に近い潮見1丁目バス停からは帰宅中の高校生が乗車。旅行客と学生が交わるこの季節は大変だろうな、と考えてしまうがなんとか乗車完了。幸いにも道路は非常に空いておりほぼ定刻通り50分ほどで宗谷岬に到着した。

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 本土最北端の地・宗谷岬。話に聞いていた通り稚内の市街地からはかなりの距離があったが、流石北の果てといったところ、景色は悪くなくここまで来る価値はあると感じられた。ちなみに晴れた日は見れることも、と書いてあった樺太は望むことができなかった。 

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 隣接していた「流氷館」を見学(寒すぎて3秒で出た)し周辺を散歩したのち、帰りもやはり宗谷バスに乗車し稚内駅へと戻る。先ほど来た観光客がみな稚内方面へ戻ることからこの便も大混雑、なんとか椅子に座ることができたのでよしとでもしようか。

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 稚内駅に戻ってきてまだ少し時間があったことから、少し歩いて北防波堤ドームを見学。歴史的価値のある建造物として訪れたものの、地元の子供達が楽しそうに遊んでいたのが印象的であった。

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 さて、翌日以降の移動に備え今日は旭川まで戻るとする。稚内17時44分発の宗谷号の自由席に乗車、キハ261形5000番台・はまなす編成での運行と時刻表に記載されていたものの、突発的な運用変更があったようで往路と同じ0番台に乗車することに。

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 発車直後には利尻富士と夕焼けを望むことができたが程なくして暗くなり、旭川まで暗闇の中をひたすら走り続ける。

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 旭川には21時26分着。旭川への前回訪問は15年前、まだ地上駅舎に発着していた頃であった。その時に比べ駅周辺は綺麗になり、ピカピカのイオンモールまで完成していたことには驚かされてしまった。もっとも、地上時代と番線の振り方が逆になったことで戸惑ってしまったのも事実であるが。

 ここから道北バスにて宿泊先となるネットカフェへと向かった。ちなみに乗車したのは元東急バスの車両であり、東急沿線で生まれ育った私には懐かしく感じた。