2024/10/13(日) 旅程
三原→広→呉/呉駅前→清盛塚→呉駅前/呉→広島→三次→備後落合→宍道→出雲市
三原市某所で目覚めたのは朝4時であった。予定通りと言えばそうなのだが、相変わらず旅行中は睡眠時間を満足に取ることができない。ひとまず準備を終え三原駅へと向かう。この日の三原市の日の出は6時11分、外はまだ真っ暗であるがその代わり南の空にオリオン座がはっきりと見えたのが印象的であった。
三原5時13分発の呉線広行に乗車する。列車は227系の3両、昨日のキハ127に引き続きなんの新鮮味も覚えない見慣れた転換クロスシートである。ちなみにキハは1+2列配置であったのに対しこちらは2+2列配置。どちらにせよ座り心地だけでは旅をしている!という感覚にはならないわけだが、国鉄時代は全国どこでも国鉄色の485系が走っていたということを思えば、「Red Wing」という愛称がつけられたこの車両はまだ個性のある方か、とか考えたりもする。
当然発車しばらくは日の出前の真っ暗であったが、竹原を出たあたりから空は明るくなり始め、安浦を過ぎる頃には東の空から昇る太陽を望むことができた。それと同時にこれまで3両で6,7人であった乗客が増え始め、広に到着する頃には20人程度となった。
終点の広には6時46分に到着、列車交換こそ少なかったものの徐行区間も多く、三原から60kmを1時間半かけて走るという電車にあるまじき鈍足ぶりである。ここで向かいのホームに停車していた6時48分発の岩国行へと乗り換え、こちらも同じ227系であるが6両編成のツーマン運転であった。この列車に乗り呉まで向かい7時5分着、ここでまだ早い気もするが一度鉄道の旅を中断する。
呉駅前7時20分発の桂浜・温泉館行の広電バスに乗車する。今回向かうのは音戸大橋、2年前瀬戸内海汽船に乗船し潜ったことこそあるものの、今回は陸路で訪れてみる。
バスに揺られ30分弱、音戸大橋を渡ったさきの「清盛塚」バス停で下車。ここは音戸の瀬戸を一日で切り拓いたとされる平清盛公を祀ったとされる塚であるが、参拝用の橋が大破したのち再建されておらず、外からお詣りすることとなった。
その奥にあるのが音戸大橋、そのさらに奥が第二音戸大橋である。頻繁に行き交う航路の上を自動車もまた頻繁に走っている、そんな交通の要所でありまたこの赤いアーチが観光資源となっているようだ。
話は脱線するが興味深いものをひとつ。清盛塚のバス停近くの観光センターの前にこのようなポストが設置されていた。地元の高校生がデザインしたというこのポストは、沢山の牡蠣を絵柄に取り入れ「いいよ!!こいよ!!」「うん!おいしい!」という文言を盛り込んだ可愛らしいものとなっている。そしてこのポスト自体が音戸の観光資源となっているのだという。町おこしなんてものは全国どこでも行われているが、結局このようなインパクトのある箱物(?)で知名度を広める、というのは一つの正解なのかもしれない。
呉に戻ったのち9時17分発の快速安芸路ライナー広島行に乗車する。車両はお馴染み227系、こちらは3両ワンマンながらかなりの乗車率であり呉時点で既に立ち客も目立つ。車窓に流れる瀬戸内海沿いの景色をボーっと眺めていたが、途中から爆睡してしまい気づけば広島に到着していた。
広島で1時間ほど暇だったため駅周辺を散策、来春開業するという駅前大橋線の状況を確認した。確かに工事の進捗は進んでいるものの桁の設置も未完成な場所があり本当に間に合うの?といった様子。大規模な系統再編も行われると思われ、完成が待ち遠しいところである。
さてここから再び未乗区間へと戻っていく。広島11時2分発の快速安芸路ライナーにて三次へと向かう。列車はキハ47の2両編成、乗車率は70%ぐらいといったところか。
広島から下深川までの各駅停車区間を経たのちは比較的スピードを出しながら快走していく。あまりにも広い広島市内を通り抜けたのち、近年知名度が何故か全国区となった安芸高田市を経て三次市に入るルート、その距離68.8km。かなり速度を出すからというのもあるだろうが、他所者の考えている印象よりもこの間の距離は離れているような気がする。その区間を爆走した国鉄形気動車は12時24分に三次に到着。これをもって私は2日がかりの芸備線完乗を達成した。
さて、ここからは今日最後の完乗路線である木次線へと向かうこととする。三次駅近くのローソンで買い物をしたのち13時発の備後落合行で備後落合へ、昨日と同じキハ120単行であるが今日はセミクロスシートの300番台、ただし混雑しており相変わらず着席するのはロングシートである。そして私は前夜の三原での3時間睡眠の代償とでも言おうか、再びこの区間でも爆睡してしまい起きた頃には14時19分、終点の備後落合に到着した。
2日連続2回目の備後落合、ボランティアの方に加え今日は応援の駅員さんも駆けつけ、一段と盛況を見せることとなる。昨日乗車した新見からの列車、そして三次に向かう列車は相変わらずの盛況ぶりを見せていた。
一方で私の乗車する14時44分発の木次線宍道行は、というと満席とはならず乗車率70%程度であった。もっとも午後のこの時間から日本海側に出ても当日中に東京には帰れない時間であり、普通列車乗り放題の客からしてみれば山陰に宿泊することがほぼ決定事項となるこの列車の使い勝手は、良いものとは言えないだろう。しかし、私の座席こそロングシートであるが立ち客がいないと比較的ゆったりと乗車できるので悪い気は全くしない。いやむしろ芸備線が異常だったとも言うが。ちなみに車両はまたもやキハ120単行、ただし今回は鋼製車の200番台でありこの2日間で全番台乗車を達成してしまった。
さて、相変わらず山奥の備後落合を出た列車はとにかく山を登っていく。備後落合から上り勾配が続き、島根県に入った2駅目の三井野原では標高726m、JR西日本で最も高い駅となる。もっとも、大阪の生駒山とそこまで変わらないと言われればそうなのだが。
この駅を出たのちは山を下る形にはなるが、これも一筋縄では行かない。国道314号線の橋を車窓に望んだのち、次の出雲坂根は木次線の象徴とも言える三段式スイッチバックにさしかかる。もちろん車内は同業者が大半であり、絶景が見えた時、またスイッチバックの時にはシャッター音が鳴り響き動画の音も聞こえる。
ちなみにこの木次線、芸備線と違うこととしては普段使いの利用者が目立つことが挙げられよう。もちろん旅行者が大半ではあるのだが、1,2駅のみ乗車する地元の方も目立ち各駅で乗降がある。ローカル線という域こそ抜けないものの「鉄道ファンしか利用しない」というのは出雲横田以南に限った話であり、普段使いをされている方もよく見かけた。
17時43分、終点の宍道に到着。この駅は一部の特急も停車する駅であるが、16時以降は無人となっており駅周辺は閑散としていた。ここからは山陰本線に乗り換え出雲市へと向かう。宍道18時10分発の出雲市行はキハ126の2両編成での運行、この車両には初めて乗車したものの高速運転を目的として製造された車両とあってキハ120なんかとは比較にならない快速ぶりを見せてくれる。もっとも、座席はボックスシートであり座り心地が良いとはお世辞にも言えないが。
終点の出雲市に18時27分に到着し、少し早いが今日の旅程はここで終了とする。特急やくも、或いは後続のサンライズ出雲を待つ客を横目に改札を出て、この日の寝床へと向かった。