北海道のブログに続きかなり遅れての投稿となってしまうが、今回から3回は10月の3連休に「秋の乗り放題パス」を使いなんとなく中国地方の東半分を旅行した話をブログとして書いていこうと思う。目的は例によって未乗路線への乗車、姫新線・芸備線・呉線・福塩線・木次線・若桜鉄道といった路線に乗車するためである。そんな話をツラツラと書き記していきたいと思う。
2024/10/12(土) 旅程
姫路→播磨新宮→佐用→津山→新見→備後落合→三好→府中→福山→尾道
今回は旅程の都合上、1日目にして姫路からのスタートである。この前日大学の5限の授業が終わったのち、天王寺→西九条→阪神尼崎→山陽姫路へと移動し姫路市内に前泊しここに臨むこととなった。厳密にはこの前日を1日目と言うのかもしれないが、強いて言うなら山陽電車に乗車したのは1年ぶりか、という程度でありあまり旅行感もなかった為ここは「0日目」とでもしておこうか。
6時過ぎに起床したのち徒歩にて姫路駅へとむかう。姫路6時55分発の播磨新宮行はキハ127系2両であった。関空快速で見慣れた1+2列の転換クロスシートは座席が埋まる程度の混雑、この形式に乗車するのは初めてであるが、乗ってしまえばもはや何も新鮮味を感じない。
姫路を発車するとまもなく山陽本線と分かれ、姫路郊外の住宅街へと入っていく。一部トンネルもあるものの夢前川や揖保川の流域の平地を走っており、余部や本竜野といった主要駅では降車があるものの、同程度の乗車も見られるといったところである。ちなみにこの路線の最高速度は100km/h、高速化工事が行われていることもあり普通列車のみが運行される非電化単線とは思えないような走りぶりを見せてくれる。大阪府民としてはこれが余計に「新鮮味の無さ」を感じさせられるのだが。
そして7時29分に播磨新宮に到着、ここで佐用行に乗り換えとなる。しかし驚いたことにこの列車も同じキハ127系2両であった。列車両数が変わらないのになぜ乗り換えさせるのだろう、という素朴な疑問は当然生まれるが、運用だとか検査周期だとか大人の事情は当然生じるものであり、そこにツッコミ始めたらキリがないようにも感じる。もっともこの時間は平日なら高校生の通学に使われる時間であり、需要の有無で言えば「ある」のだろう。
ジャージを着た高校生?がいなくなった分少し空席が生まれた佐用行は、7時45分に播磨新宮を発車。ようやく(という言い方は明らかに誤用である)郊外と呼ばれる場所を抜け、ありきたりなわが国の風景へと移りかわり始める。とはいえチンタラ走るといったこともなく、快走という言葉が似合うようのは変わりない。そんな区間を30分ほど走り8時17分に佐用に到着し、再び乗り換えとなる。
ここから先は岡山色のキハ120単行で山あいの区間を進んでゆく。佐用はギリギリ兵庫県内であるが、この車両を見るだけで中国地方に来たと感じさせられるのは致し方ないだろう。佐用8時32分発の津山行はまたやはり、座席が埋まるほどの混雑であった。
雰囲気が変わるのは次の上月からである。高速化工事の実施された区間が終わり、最高速度も85km/h、しかも全ての区間で出せるわけがなく山間部では25km/h規制区間すら存在する。そしてトンネルを抜けるとそこはもう岡山県である。
もっともこの地区の移動需要はある程度存在しているようで、林野を出たあたりから少しずつ乗客が増え、津山に着いた頃には立ち客も出るほどの混雑であった。丁度1時間乗車したこの列車は9時32分に終点津山に到着、無人駅が多い分有人改札はかなりの行列ができていた。
姫新線4本目は津山10時丁度発の新見行、こちらも相変わらずキハ120の単行であった。先ほどの列車の客は津山線の岡山行にかなり吸い込まれたようであるが、こちらもやはりボックスは早々に埋まりロングシートも空席の方が少ないように見える。
津山市内から隣の真庭市に入るあたりまでは比較的線形も良いようで、軽快気動車の名に相応しい(?)軽快な走りを見せてくれる。これが一変するのは、乗客が1/3ほど入れ替わった中国勝山を過ぎてからだろうか。この駅を過ぎると草木の生い茂る森の中をはしるようで、徐行する区間も必然的に多くなってくる。ちょうど「森の芸術祭」が開催されるようでそれ目当ての観光客の方もいたが、地元の高校生が進路について話し合っていたのがやけに印象的であった。
終点新見には11時41分に到着、待ち時間もあったものの姫路を出てから5時間弱といったところである。岡山の県北を横断する所要時間として長いと感じるか短いと感じるかは人それぞれであると思うが、あくまで「乗り鉄」の視点で言えば関西方面からは決して行きやすくはないと言うのが感想である。
少し駅周辺を散歩した後、近所のローソンで昼食を買い、それを川の土手の下で食べたのち駅に戻ってくると既に12時40分であった。
新見12時58分発の備後落合行はやはりキハ120の単行であったが、岡山車で唯一浜田色をまとう357であった。乗客は40名ほど、座席は埋まり立ち客が出るほどの混雑である。閑散ローカル線という言葉が全く似合わない有様だが、仕方ないといえば仕方ないだろう。
広島県最初の駅・東城で10人ほど下車されるざ、それ以外は目立った乗降もなく中国山地の中を走ってゆく。時々減速したかと思えば徐行区間、スピードを上げたり下げたりしながら進んでいくといったところである。その山が少し開けたところにあるのが、この列車の終点である備後落合であった。
この備後落合駅、とにかく人が多い。14時24分に到着した時点で既に三次方面からの列車は到着しており、その1分後に木次線も到着する為、どれも満員であった3列車から放出された100名近くが一気にこの駅に集まることになる。シーズンを外せばガラガラ、というのはよく聞く話であるが、いかんせん平日1日休みだからと言ってフラッと行けるような場所でもない。ポジティブに捉えるなら「ローカル線のおかげで賑やかになった」とでも言おうか。それも1日1回だけではあるのだが。
14時40分発の三次行もやはりキハ120単行。今度は広島色、それも関西本線でもお馴染みのロングシート0番台であった。当然のように座席は埋まり、立ち客もそこそこ見られるなど、ここにきて今日一番の混雑である。もはや「オーバーツーリズム」という言葉すら頭に浮かんでしまうが、大半の客が割引運賃で乗車していると考えれば増結なんて言うわけにもいかない。私もなんとか席を確保できたことを幸運に思うこととしようか。
この駅を出ても大して景色が変わるわけでもなく、しばらくは駅間距離の長い山の中の区間をウネウネと走り続ける。備後庄原を越えると田園風景へと変化していくが、やはり利用者の数は対して変わらず、これ以前の車内で見たことのあるような顔ばかりである。ちなみに余談であるが、その顔ぶれは若い世代はそこまで多くなく、中高年の方が中心であった。10月という比較的忙しい時節柄、夏休みの東海道線静岡口のような大学生はあまり見られなかった。
終点三次には16時丁度に到着、翌日の旅程の都合上ここで芸備線の旅は一度中断し、福山へと抜けることとする。やはり大半の方は5分後の広島行快速へと乗り換えられるようで、小走りで跨線橋を駆け上がる方の姿が目立つ、私はというと一番最後に車両を降りゆっくりと橋を渡ってから広島行の発車を見送った。
三次では少し時間があったので少し歩き近所の「サングリーン三次」へ。1階のゆめマートで飲み物を買い、また少し散歩をすると丁度良いぐらいの時間であった。
ここからは今日最後の未乗路線、福塩線に乗車する。三次16時52分発の府中行として乗車するのは今日5回目のキハ120、しかも先ほど三次から乗車してきた列車と同じ車両であった。ちなみに乗車率は60%程度、乗車目的で来られているような方は先ほどに比べれば多くはない。
列車は3駅分芸備線を備後落合方面に戻ったのち、塩町から福塩線に入る。沿線人口も少なくかつ駅間距離も比較的長いこともあり、かなりゆっくりとした速度で走り忘れた頃に駅に到着する、といった様子である。そして、普段使いの利用者が中心であることから乗客の入れ替わりも比較的見られる。そして終始丁度良いぐらいの乗車率を保っていたまま18時39分、1分遅れで終点の府中に到着した。
ここから先はなんと今日初めての「電車」である。ここまで12時間ほど定期的に電車と呼称するとSNSでクソリプを飛ばされる乗り物に乗車してきたわけだが、ここからは4両編成の電車に揺られることとなる。
府中18時44分発の福山行に乗り込む。乗車した105系電車は通勤仕様となっており言うまでもなく車内はロングシート、しかしバス部品を使っているような単行気動車に比べれば広々としているのは言うまでもなく、快適な車内環境が保たれているのでそこまでストレスはない。
この区間はかつての特殊狭軌線であり、頻繁に駅があることからこれまでの非電化単線とは全く違う印象を受ける。少しずつ乗客の流動もあり、都会に来たとさえ感じさせてくれる。途中13もの駅に停車したのち終点福山には19時30分に到着、お腹が空いていたこともあり駅近くのラーメン屋で「尾道ラーメン」を頂く。万人が食べやすいであろうアッサリとした美味しいラーメンであった。
福山からは今日の目的地である三原へと向かう。福山20時22分発の糸崎行で糸崎に向かったのち、糸崎から20時51分発の広島行に乗り換え20時54分に三原に到着。車両はそれぞれ115系と227系出会った。今日は三原に宿泊、広島県内に宿泊するのは1年半ぶり、三原という街は初訪問であった。